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「高校で陸上はやめようと思っていた」マラソンランナー・前田彩里が振り返る「普通の学生生活を送りたかった」女子高生が陸上を続けた理由

posted2024/02/18 17:00

 
「高校で陸上はやめようと思っていた」マラソンランナー・前田彩里が振り返る「普通の学生生活を送りたかった」女子高生が陸上を続けた理由<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

小学校まではバスケ部。家族の影響で中学から陸上を始めたという前田彩里。ダイハツに入社するまでのキャリアを振り返ってもらった

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佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

PROFILE

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Nanae Suzuki

 2015年、23歳の時にマラソンを日本歴代8位(当時)のタイム「2時間22分48秒」で駆け抜けた前田彩里。前田はその後、リオ五輪と東京五輪を目指すも届かず、2020年12月には出産を経験した。育児休暇を経て、競技に復帰し2023年のMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)に出走。ステータスが変わってもなお走り続ける彼女の原点はどこにあるのか。インタビューで話を聞いた。(Number Webインタビュー全3回の第1回/第2回第3回も配信中)

小学生の頃は、裸足で走っていたんですよ(笑)

 前田彩里(さいり)の両親は、ともに陸上選手だった。

「サラブレッド」として陸上に進むのかと思いきや、小学生時代はバスケットボールに夢中だった。だが、中学校に入る際、転機が訪れた。

「中学のバスケ部が怖い先生で、部活は厳しいと聞いていたので、それは嫌だなぁと思ったんです。もう部活は別にいいかなって思っていたのですが、親からなにかやったらと言われて……。姉が陸上部だったので、それで入ろうかなぁと思って入ったのですが、陸上には興味も知識もまったくなかったですね」

 部活の初日は、母親のシューズをもらって参加した。

「めちゃくちゃ違和感を覚えました。だって、小学生の頃は、裸足で走っていたんですよ(笑)。靴を履いて走ると重くて、重くて、これじゃ走れないと思いました」

家にいて何を見てたんや

 熊本県菊池郡大津町の田舎で育った前田は、外を裸足で遊びまわるのが日常だった。地面の感触を味わいながら走るのは解放感があり、気持ちが良かったのだ。

 家に帰ると父から「部活、どうだった」と聞かれた。「みんな、靴を履いて走っていたわ」というと、「家にいて何を見てたんや。お父さんもお母さんもみんな、靴を履いて走っていたやろ」と言われた。

 初めて800mのレースに出た時もなかなかの大物ぶりを発揮している。最初からうしろの方でゆっくりと走っていると陸上部の監督から「本気出して走れ」と怒鳴られた。

「なんで、そんなん言われるのって感じでした。私のなかでは長距離ってゆっくり走るもんだという感覚だったんです。でも、監督にマジな顔で『走れ』と言われて、そこからダッシュしたら3位に入ったんです。レース後、母に『なんで、あんなにゆっくり走っていたの』と聞かれたので、『長距離ってゆっくり走るもんじゃないの』というと、『それ、マラソンの話やろ』って(苦笑)。もう恥ずかしいぐらい何も知らない状態で、陸上を始めていました」

【次ページ】 もう地獄でした。キツくて…

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