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「かかる暴挙は承認しない」“絶縁された自称名人”阪田三吉との将棋を「まかりならぬ」と言われようが…なぜ木村義雄は熱望したか 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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photograph byKyodo News/BUNGEISHUNJU

posted2024/02/11 06:02

「かかる暴挙は承認しない」“絶縁された自称名人”阪田三吉との将棋を「まかりならぬ」と言われようが…なぜ木村義雄は熱望したか<Number Web> photograph by Kyodo News/BUNGEISHUNJU

阪田三吉と木村義雄。交わることのなかったはずの大棋士2人が相まみえるまでに至った経緯とは

 阪田にもし敗れたら、新名人に就いた場合に権威に傷がつき、主催者の面目は丸つぶれになる。読売記者の菅谷の狙いもそこにあったようだ。大成会は、木村らに「阪田との対局はまかりならぬ」と決議文を3回も送った。

 木村は後年に自著で「ほとんど未知に等しい阪田氏との対局は千載一遇の好機で、どんな犠牲を払っても悔いはないと思い込んだ。勝負よりも会心の棋譜を残すことで、棋士としての本懐を達せられる。大成会員としていけないなら、個人の資格でも指したい。私にとって一世一代の大勝負。もし敗れたら、名人を推されても辞退する……」と回想した。

 木村と花田が大成会からの脱退もいとわぬ強い覚悟を示すと、大成会は仕方なく了承した。

木村らの決意を現代棋界にたとえると…

 木村らの決意を現代棋界に例えると、大タイトルを獲得した棋士が棋力向上をさらに目指す考えで、AI(人工知能)を搭載した最強の将棋ソフトとの対局を所属団体の反対を押し切って実施。もし敗れたら大タイトルを返上すると表明したようなものだ(実際にはありえないことだが……)。

 木村義雄は東京都の出身。関根十三世名人の門下。昭和12年に実力制で第1期名人に就き、以降も無敵名人として木村時代を築いた。引退後に十四世名人を名乗った。

 阪田の対局については関係者で協議され、阪田−木村は2月上旬から京都の南禅寺、阪田ー花田は3月下旬から京都の天龍寺で対戦することが決まった。対局日数は7日間で、持ち時間は各30時間。阪田−木村の対局の詳しい模様は、第2回にて。<つづきは第2回>

#2に続く
「命がけの勝負や」「父親が苦しみながら真剣に指す姿を…」1937年、阪田三吉66歳vs木村義雄31歳の「7日間対局」激闘の舞台裏

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