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野球クロスロードBACK NUMBER
選手から「あんたに挨拶する筋合いなんてない」と言われ…福島・学法石川“33年ぶりセンバツ出場ウラ話”甲子園準優勝監督が伝えた「勝つ覚悟」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byGenki Taguchi
posted2024/02/02 06:01
33年ぶりのセンバツ出場を決めた福島・学法石川高の野球部メンバー。指揮を執るのはかつて仙台育英高で甲子園準優勝の実績を持つ佐々木順一郎監督
だが、この時はそれがなかった。理由はひとつ。万感。これに尽きた。
「僕自身、そんなにあの、泣いたりですね、今までなかったんですけど。センバツが決まった直後からの1、2分はですね、ちょっと何とも言えない気持ちになりました」
前任の仙台育英時代は春夏合わせて19回の出場で準優勝2回。全国を知り抜く佐々木でありながら、学法石川で初めて導いた甲子園は「圧倒的に違う感情」と目じりを下げる。
「前(仙台育英時代)にいい思いをさせてもらっていたなかで苦労がなかったわけではないんですけど、そんな苦労はみなさんしているだろうと思いますしね。こうやってまた出られるというのは、僕が『戻ってきてもいいよ』と甲子園に言ってもらえているような気がするので、安心して戻ります」
18年の11月に学法石川の監督となってから約5年半。佐々木は強調しないが、異なるユニフォームで目指した甲子園への道は苦節の期間ではあったはずだ。
そうですねぇ、どうでしょうか……少し見上げ、また口を開く。
「甲子園に出たから言えることもあるというかね。『どうしていこうか』って目の前が真っ暗になる時もありました」
就任当初「あんたに挨拶する筋合いなんてない」と言われ…
就任1年目。学法石川の当時の3年生のなかには、新監督に対して明らかな敵意を示す選手もいたのだという。
「あんたに挨拶する筋合いなんてないから」
いくら仙台育英で華やかな歴史を築いてきたといっても、すべてが肯定されるべきものではない。佐々木はそこを痛感する。
新天地でのスタートは、どちらかと言えばネガティブだった。
「『受け入れられていないな』という感じは。僕が想像するに、最初の頃は部員の半分くらいに『育英で監督やってきたからって何なんだよ!』という雰囲気はあったのかなと」
当時の選手たちの不信感は、おそらく猜疑心から生じたものだった。
18年の時点で、学法石川は99年の夏を最後に甲子園から遠ざかっていた。
12回の出場を誇っていた強豪の凋落は著しく、夏に限れば07年から連続出場を続ける聖光学院が福島の絶対王者として君臨している。