マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
「本業はコンビニ経営」「毎日おにぎりを100個握る」…《センバツ21世紀枠》“極北の公立校”別海高を甲子園に導いた島影隆啓監督って何者?
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byJIJI PRESS
posted2024/01/28 11:00
21世紀枠で同校史上初となる甲子園出場を決めた別海高校ナイン。チームを率いる島影隆啓監督とは…?
普段は、笑うと目がなくなってしまう監督の柔和な顔立ちに「狂気」のようなものが漂っていた。
「あの時ですか? あの時はですねぇ」
おかしそうに笑って、振り返る。
「初めての全道、札幌も初めてだった生徒も多くて、なんとなくうわついた空気があったんです。練習でも集中力がなかったり、普段の生活でも、別海にいる時は出来ていることが出来なかったり。ここはいっちょう、目を覚まさせないといけないと思って、雨だろうとなんだろうと、今日はやりきろう!と。そういうとこ、やっぱり私、昭和の野球なんですね。根性、大好き。やる時はやりきる。メリハリ効かせて、いいかげんなところで妥協したくありませんから」
このご時世で……親御さんたち、どうなんですか?
「それがですね、ウチの野球部の父母会は日本一なんです!」
全面的協力体制だという。21世紀枠の候補になって、町長さんの肝いりで町の室内体育館が練習場になり、ならばと父母会が立ち上がって、室内体育館を「室内野球練習場」に仕立てあげてしまった。
近隣の漁師さんの力も借りて、ネットを編んでもらって、ワイヤーも張って、あっという間に2カ所で打撃練習もできる「室内」が出来上がった。
「いつもの冬だったら、グラウンドの雪を除雪して、その上で練習するんですけど、今年は、町や父母会のおかげで、きちんと野球の練習ができているのが、ほんとにありがたいです」
神宮球場で何度も顔を合わせた
島影監督というと、いつも思い出すのが秋の「明治神宮大会」だ。
北海道の冬が始まるころ、監督は毎年、東京に野球の勉強にやって来る。神宮球場の正面のあたり、朝一番の飛行機でやって来る島影監督に、何度バッタリ出会ったことか。あまり何度も顔を合わせるものだから、最近は、そのへんにいるんじゃないかとその姿を探すようになってしまった。
「中標津から飛行機乗れば、ここまで2時間半ぐらいですから」
いつもそういうおっしゃり方をして、スタンドの目立たない場所からジッと「全国レベル」の野球に目を凝らす。人の野球を観察し、血となり肉となる<何か>を吸収しようと、本気で考え実行している指導者の方って、実はそんなに多くないのではないか。親しい方と話し込んでいる方はお見受けするが、一心にグラウンドに視線を注がれている方はなかなかおられないように思う。
そんな島影監督、全道4強に勝ち上がった北海道大会で、「4強」よりもっと嬉しいことがあったという。
「会場になったエスコンフィールドのスタンドに、OBが凄かったんです。私、ここの監督やって、まだ8年で、しかも1学年10人かそこらのOBしかいないはずなのに、『こんなにいたのか』と思うほど、全員集合みたいに来てくれて」