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箱根駅伝ですべてを出し尽くし…「消えた天才」と呼ばれた“青学大の最強ランナー”出岐雄大の苦悩「陸上以外の道がなくなっていった」
posted2024/01/06 11:01
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph by
Miki Fukano
出岐雄大は“すべてを出し切るランナー”だった
私は学生時代の出岐雄大さんも取材しているが、その当時、原晋監督は彼のことをこんな風に評価していた。
「出岐は、果汁100パーセント。練習でもレースでも、力の限りを出し切る。つねに自己ベスト以上のものを出してきますからね」
試合になれば、持ちタイム以上の力を発揮する。相手が誰であろうと、萎縮することがない。そんな速さと勝負強さを兼ね備えた選手を、原監督はよく「駅伝力がある」という言葉で称えるが、出岐さんがまさにそうだった。
2年生の時の箱根駅伝「花の2区」での11人抜き、3年生の時の「9人を抜いての2区区間賞」獲得。エースの活躍に引っ張られるようにして、青学大はシード校の常連となっていく。その頃にはもう、はっきりと大黒柱としての自覚を持っていたという。
「自分が強くなって、青山を強くしたいっていうのは、もう2年の終わり頃には自然と考えるようになってました。大学の友だちとかも本当に応援してくれましたし、陸上どうこうよりも、青山を有名にしたいなって。『箱根になったら走れる』という感覚もその頃からあって、試合当日になるとスイッチが入るんです。やっぱり前に選手が見えたら全部抜きたいなと思いますし、当時はそんなに強くなかったので、一つ前の区間がそこそこ悪い順位で来てくれたのも大きかった(笑)。ただ、そういう風に思えたのって箱根だけかもしれないです。私だけの感覚かもしれないですけど、箱根だから頑張れました」
箱根駅伝は小さいころからテレビで見ていた。陸上を始めてからは、より熱心に見るようになった。いざ自分がその場所に立って見ると、華やかさは想像以上だった。家族は4年間、長崎から応援に足を運んでくれた。自分が良い走りをすれば、みんなが喜んでくれた。振り返れば、その充実感こそが辛い練習を乗り越えられた原動力だった。