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箱根駅伝ですべてを出し尽くし…「消えた天才」と呼ばれた“青学大の最強ランナー”出岐雄大の苦悩「陸上以外の道がなくなっていった」
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byMiki Fukano
posted2024/01/06 11:01
2012年、青学大3年時の出岐雄大さん。箱根駅伝で2区区間賞を獲得し、びわ湖毎日マラソンでも学生歴代3位(当時)の好タイムをマークした
「正直、走ることの面白さっていうのが最後までわからなくて……。箱根については小さいころから見ていたし、大学で箱根を目指すというのも自分で決めたことだったんですけど、最初は4年間のうちに1回でも出られたら良いくらいの気持ちだったのが、思いがけず1年生から出られて。1度出ると今度は4回出たいなと思って、それが目標になったんですね。でも、それ以上走りたいかと言われたら、次の目標がなかなか見えてこなかったんです」
幸か不幸か、出岐さんは周囲の期待を上回る早さで成長した。初めのうちは周囲の期待に応えられることが嬉しかった。だが、チームのエースとなり、陸上界の期待を背負うことで、逆に将来の選択肢は狭まっていった。期待に応えようと努力すればするほど、陸上一本に道が絞られていく。その状況は本人にとって辛いことだっただろう。
「おっしゃるように、自分が頑張ることで自分のクビを絞めてしまうような……。そんな感覚がありましたね」
出岐さんは引退後に一度だけテレビのスポーツバラエティ番組『消えた天才』に出演している。25歳の若さで引退した理由を問われ、「箱根で燃え尽きた。陸上がそんなに面白く思えなかった」という主旨の回答をしていた。
あれだけ苦しい練習を、好きと思えない選手が頑張れるものだろうか――当時はそう思っていたが、話を聞いた今ならわかる気がする。走ることそのものよりも、出岐さんは箱根で周囲の期待に応えることに喜びを見いだしていたのだろう。
<第3回に続く>