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ハマ街ダイアリーBACK NUMBER
「一軍ではもう難しいのかな」DeNA三上朋也33歳が限界を悟った一球…その秋、通算114ホールドの生え抜き右腕は横浜を去った
text by
石塚隆Takashi Ishizuka
photograph byShiro Miyake
posted2023/12/28 11:02
DeNAに9年在籍した三上朋也。ブルペンでは兄貴分的な存在だった三上が昨秋、横浜に別れを告げるまでを振り返る
「なんですかね。入団して1~2年で年上の人たちがごそって抜けて、僕が一番上みたいになっちゃったんですよ。特に意識していたわけじゃないんですけど、ただ変にストレスが掛からないよう、自然に皆がやり易いようにって。上の人からの圧って僕も経験がありますけど、いいイメージないんで、変な言い方ですけど、野球観が昭和から平成に替わったような変化はあったと思いますよ。ただ、俺がしっかりやってやるぜ、みたいなこと微塵も思っていませんでした。ピッチャーそれぞれが職人ですし、表現者でもあります。自分のペースで安心できる中、力を発揮できるような環境になったらいいなとは漠然と思っていました」
おまえはここだと言われたら、そこで仕事をするだけ
三上という人間は、一言でいえば“泰然自若”だ。勝負師としての熱さは持ち合わせているが、まずはありのままを受け入れ、物事に動じず、慌てず、最良を見極める。だからこそクローザーに執着することなく、どんな場面でも声が掛かればマウンドへ向かい、やるべき仕事を遂行していった。多くを語ることはないが、そんなブルペンリーダー三上の背中は説得力を持ち、若い投手たちに影響を与えた。
「ピッチャーは投げてナンボですし、その思いは昔から変わりません。確かに世間的には『クローザーは華がある』と思われているし、過酷なポジションですけど、それ以外にも大変なピッチャーはいるわけです。ブルペンで肩を作っては投げないこともあったり、仕事場が広い人ほど難しさはある。それがわかるんで、おまえはここだと言われたら、そこで仕事をするだけなんですよ」
無理やりにでも奮い立たせるような思考
2016年にアレックス・ラミレス監督が就任すると、戦力が向上したDeNAはクライマックス・シリーズや日本シリーズに進出するようになった。ダイナミックにチームがうごめく中、三上は投手陣のまとめ役としてブルペンを支えた。よく山﨑から聞いて印象的だったのが「三上さんは引きずらないし、切り替えが早い」という言葉だ。確かに抑えても打たれてもマウンド上では表情ひとつ変えず淡々としているイメージが三上にはある。
「いやいや、ああ見えて、僕も結構きてるんですよ」
三上は苦笑してそう言った。打たれれば当然、悔しさが胸を突く。
「きてるけど、落ちてしまうとずっとそのまま行ってしまうので、無理やりにでも奮い立たせるような思考を持つようにはしていましたね。あまりネガティヴには考えないように」
2018年には豪州への派遣選手に
キャリアを長く重ねていく上での処世術。オンとオフの切り替えも重要だという。