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ハマ街ダイアリーBACK NUMBER
「一軍ではもう難しいのかな」DeNA三上朋也33歳が限界を悟った一球…その秋、通算114ホールドの生え抜き右腕は横浜を去った
text by
石塚隆Takashi Ishizuka
photograph byShiro Miyake
posted2023/12/28 11:02
DeNAに9年在籍した三上朋也。ブルペンでは兄貴分的な存在だった三上が昨秋、横浜に別れを告げるまでを振り返る
横浜DeNAベイスターズで9年、読売ジャイアンツで1年、投手としてプレーした三上は、来季からイースタン・リーグに参入するオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに入団する。
NPBで過ごした10年間、やはり三上といえばDeNAでの活躍だろう。入団以来リリーバーとしてチームを支え、DeNAにおける通算114ホールドは、所属をした日本人投手最多であり、どんな場面であっても颯爽とマウンドに現れ、淡々と仕事を終わらせる姿は印象的だった。
2013年のドラフト会議で4位指名されJX-ENEOS(当時)から入団。初年度となった2014年シーズンは、いきなりクローザーに抜擢された。当時DeNA体制になって3年目、戦力の整備はまだ固まっておらず、ルーキーの三上に白羽の矢が立った。
ブルペンが不安定な時代
「あの時は山口俊さんと(ホルヘ・)ソーサが後ろを任されていたんですけど、なかなか上手くいかず僕が指名されたんですよ。まあ、やらざるを得ないというか。翌年にヤス(山﨑康晃)が入ってきたり、最近では巨人の大勢や広島の栗林(良吏)といったルーキーが、いきなり抑えに抜擢されるようになりましたけど、当時は珍しかったと思いますよ。まだブルペンが不安定な時代でしたし、だからこそチャンスをもらえた。できあがったチームだと、こうはいきませんからね」
三上はこの年、21セーブを挙げ、さらに監督推薦でオールスターゲームに出場するなど、新人として順風満帆なスタートを切っている。翌年、故障で出遅れてしまうのだが、三上が語っていたように、これによってルーキーの山﨑康晃がクローザーに抜擢され、37セーブを挙げ新人王を獲得している。セットアッパーにまわった三上は、後輩の山﨑が不調の時は代わりにクローザーを務めるなど、献身的にチームを支えていた。
野球観が昭和から平成に替わったような変化
今でこそ風通しがよく、まとまったリリーフ陣として知られるDeNAのブルペンであるが、この礎を作ったのが三上である。本人は否定するが、後輩の山﨑や三嶋一輝、石田健大などは、口を揃えて三上の存在は大きかったと断言している。