F1ピットストップBACK NUMBER
癌との戦いを経て、壊滅寸前のホンダパワーユニットを立て直したエンジニア・角田哲史の壮絶なる勝利への道
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byMasahiro Owari
posted2023/12/29 17:00
2021年にレースに投入されたホンダの新骨格PUと角田氏
そこで角田は、これまで隣り合わせとなっていたターボとコンプレッサーを切り離す「スプリット式」を採用する決断を下した。
「ターボとコンプレッサーをVバンク角の外に出せば、それぞれの直径を大きくすることができるだけでなく、スペースが空いて可変吸気管長の長さを自由に取れるというメリットにもつながりました。コンプレッサーがエンジンの前にあるので長いインタークーラーの通路を作らなくて済むし、PUの重心を下げることにも成功。パッケージとしてすごく合理的でした」
設計変更にはさまざまなリスクも伴っていた。新しいレイアウトにすれば、それぞれのパーツの信頼性確認に時間を要する。とはいえ、当時ホンダが組んでいたマクラーレン側も17年の車体設計を始めなければならず、まずはPUの骨格を決めなければならない。
「新しい設計にはいくつもの課題が残ったままでしたが、いろんなしがらみの中で、ある段階で仕様を決めなければならなかった」と、角田は苦悩した末にPUの設計を大きく変更する決断を下した。
突然の病魔
その直後の16年の夏、角田は病に倒れた。
「癌が発見されました。夏に手術して、それから60日ぐらい入院していました。10月に退院して会社に出てきたけど、病理検査したら、また化学療法しなければならなくなって、年末に入院。(17年の)年明けに会社に出てきたけど、体力がなくて、しばらくは早めに上がらせてもらっていました」
自分が設計したPUだったにもかかわらず、角田は最初のエンジンを組み立てるときに、現場に立ち会えなかった。
さらに、ホンダを取り巻く状況も厳しくなっていた。新設計のPUはトラブルの連続で、性能面でも前年を上回ることができないまま17年シーズンに突入。
「あのころが、一番つらかった」
角田は、そう述懐する。その理由はマクラーレンからのバッシングでも、体調の不安でもない。