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F1平川亮、F2宮田莉朋…F1から撤退したトヨタが今年、フォーミュラ最高峰に再びドライバーを送り出す理由
posted2024/01/12 17:00
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph by
Masahiro Owari
2024年、トヨタの支援を受けてレース活動をしている2人のドライバーが、F1を見据えた戦いをスタートさせる。ひとりはマクラーレンのリザーブドライバーに起用された平川亮。もうひとりはF1直下のカテゴリーであるF2に参戦する宮田莉朋だ。
07年に13歳でカートをはじめた平川は、2年後に15歳でトヨタのレーシングスクールを受講。その後、国内最高峰のレースであるスーパーフォーミュラでチャンピオンシップ争いを演じ、22年には世界耐久選手権(WEC)でル・マン24時間レースでの優勝を含むシリーズ2勝を挙げ、初のワールドチャンピオンに輝いた日本人トップドライバーのひとりだ。
今年で30歳を迎える平川の名前がこれまでF1の世界で取り上げられることはなかったが、本人は「マクラーレンと契約するずっと前からF1はフォローしていて、いまでもほとんどのレースをテレビ観戦しています」と語るほどF1に注目してきた。
F1に直結しないトヨタの育成
しかし、平川がトヨタのレーシングスクールに入校した09年に、トヨタはF1から撤退。その3年後の12年に平川は全日本F3でチャンピオンを獲得し、その後も国内最高峰のレースであるスーパーフォーミュラやスーパーGTで活躍を続けたが、F1に参戦していないトヨタの育成ドライバーにF1へのチャンスが訪れることはなかった。
その平川の5歳年下の宮田も、小さいころにF1に参戦している中嶋一貴や小林可夢偉を見て育った。しかし、本格的にカートに挑戦するころには、トヨタはすでにF1から撤退。それでも、宮田がトヨタの育成システムから離れなかったのは、師匠である元F1ドライバー高木虎之介の「速いドライバーにはどのメーカーにいようがチャンスが訪れる」という教えを信じていたからだった。
宮田は全日本F3から名称変更した全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権を制覇すると、昨年はスーパーGTとスーパーフォーミュラという国内トップカテゴリーで2冠に輝く大活躍。この走りを見たF2のチームから声がかかり、F1へと続く階段を登り始める決断を下した。
この2つの決定は、トヨタがF1との距離を縮め始めたという単純な話ではない。08年から2年間F1に参戦し、現在はトヨタGAZOO Racingヨーロッパの副会長としてモータースポーツ活動を支えている中嶋一貴ですら、この決定に「度肝を抜かれた」と語ったことからもそれがわかる。