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癌との戦いを経て、壊滅寸前のホンダパワーユニットを立て直したエンジニア・角田哲史の壮絶なる勝利への道 

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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posted2023/12/29 17:00

癌との戦いを経て、壊滅寸前のホンダパワーユニットを立て直したエンジニア・角田哲史の壮絶なる勝利への道<Number Web> photograph by Masahiro Owari

2021年にレースに投入されたホンダの新骨格PUと角田氏

「会社が置かれている状況も、自分の病気も受け入るしかないと思っていました」

 角田がつらかったのは、F1の舞台で挑戦が続けられなくなるという不安だった。

 マクラーレンとの関係が悪化の一途を辿ったホンダは17年限りでの契約終了を決定。他チームにPUを供給していなかったため、17年限りでF1から撤退を強いられる可能性があった。

 そのホンダに手を差し伸べたのが、トロロッソ(その後のアルファタウリ)のフランツ・トスト代表だった。トストは14年からホンダの首脳陣と接触し、「ホンダなら、必ず勝てるPUを開発できる」と高く信頼していた。そして17年9月、ホンダは18年からトロロッソをパートナーとすることを決定。このころ、角田は苦しかった化学療法を耐え抜き、癌との戦いにピリオドを打っていた。

 18年に航空エンジン部門のサポートによって信頼性を向上させた角田の新設計PUは、その後、高速燃焼技術の発見によってエンジンパワーを飛躍的に高め、19年からレッドブルにも供給されるようになる。その2年後、角田は新設計をさらに進化させた新骨格を導入し、レッドブルとともにドライバーズチャンピオンを獲得。そして、23年には22戦21勝という歴史的な大勝利を収めた。

継続がもたらした強さ

 角田は言う。

「17年のPUがここまで来たんですから、感無量です。信じてきて良かったし、一緒にプロジェクトに関わってきてくれたメンバー全員に感謝です」

 角田には、ひとつの哲学がある。それは「技術はつながりが大切」という考え方だ。

「PUのどれかひとつが特別ということはなく、私にとっては全部がかわいい作品なんです。17年があったから、いまがある。継続が大事なんです」

 角田はいま、LPLとして26年から導入される新レギュレーションに向けたPUの開発を進めている。その頭の中には、どんな設計図が描かれているのだろうか。

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