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癌との戦いを経て、壊滅寸前のホンダパワーユニットを立て直したエンジニア・角田哲史の壮絶なる勝利への道
posted2023/12/29 17:00
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph by
Masahiro Owari
2023年の最終戦アブダビGPにホンダの首脳陣の姿があった。その中のひとりに、ホンダを定年退職した浅木泰昭に代わって、23年春からHRCでF1パワーユニット(PU)総責任者を務める角田(かくだ)哲史がいた。
角田がホンダに入社したのは1989年。量産のエンジン設計部署に配属され、初代NSXチームに入った。レースの世界に足を踏み入れたのは94年。まずアメリカのCARTシリーズのエンジンを設計した。97年からは、当時もF1にエンジンサプライヤーとして参戦していた無限が使用するF1エンジン設計を担当。2001年からはホンダの第3期F1活動に参画し、06年にはエンジンの開発責任者であるラージ・プロジェクトリーダー(LPL)に抜擢された。
08年限りでホンダがF1から撤退した後は、しばらく量産車のエンジンの開発責任者を務めていた。そんな角田に再び声がかかったのは、ホンダがF1に復帰した15年の秋だった。この時点で16年のPUは15年の進化版となることが決まっており、角田が任されたのは17年シーズンを戦うPUの設計だった。
苦悩の末の設計変更
このころ、ホンダのPUの性能はライバルに水を開けられていた。その差は、従来のPUをベースに開発しても、とても追いつけないと感じられるほど大きなものだった。
何かを変えなければならない。角田が目をつけたのがPUのレイアウトだった。復帰当初、ホンダが採用していたのは、エンジン(ICE=内燃機関)のVバンク角の中にターボとコンプレッサーを収める超コンパクトなレイアウトだった。「サイズ・ゼロ」と呼ばれていたこのレイアウトはマシン後部の空力をより自由に使用できるメリットがあったが、ターボとコンプレッサーの性能を上げるという点では必ずしも理想的ではなかった。