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プロ棋士になるため、27歳で無職に…小山怜央が振り返る「3回目の受験」「不安の第一はお金のことだった」

posted2023/12/24 06:06

 
プロ棋士になるため、27歳で無職に…小山怜央が振り返る「3回目の受験」「不安の第一はお金のことだった」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

今年4月にプロ棋士となった小山怜央。本人が棋士編入試験資格を得るまでを振り返る

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小山怜央

小山怜央Reo Koyama

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JIJI PRESS

 プロ棋士のほぼ全員が入会してきた奨励会。その登竜門を経ずに「編入試験」で今年2023年4月にプロの棋士となったのが、小山怜央だ。初の岩手県出身のプロ棋士となった本人がその歩みを振り返った『夢破れ、夢破れ、夢叶う』(時事通信出版局)を抜粋して紹介する。全3回の第3回/前回はこちら

会社を辞め、30万円のパソコンを買った

 会社を辞めた私は、新たな挑戦のためにと30万円のパソコンを買った。AIを使った研究のためのもので、それまで中終盤の勉強ばかりやってきた私はこれで序盤をしっかり研究してみようと思った。

 実際、この勉強はかなり効果的で、私はこの勉強なしではプロになれなかったと思っている。会社を辞めてしばらくの間は、自分の得意形をAIで研究し、それをネット将棋で試すという勉強法をしていた。そして後には指せる戦型の幅を増やし、どの形においても自分に合った指し方をAIで追求するという勉強法に変えていった。

奨励会員の人たちとの研究会では、かなり負けていた

 会社を辞めて3カ月ほどは研究会のあてがなく、AI研究とネット将棋のスタイルだったが、アマ強豪の渡部壮大さんから奨励会員が多めの研究会に誘われた。これが縁となり、研究会が増えていき、対面で指す機会も増えていった。

 奨励会員の人たちとの研究会では、かなり負ける。ここで思うように勝てなかったので、がんばらなきゃと思う大切なきっかけになった。あと研究会のための準備が、後々に勝つための大きな原動力となった。自分が入ることができなかった奨励会の方たちに成長させてもらったのは、どこか不思議な気もした。

私はダントツ年長者

 研究会は、だいたい午前10時か午後1時に集合。午前に始まるときは、1局指して、昼食。午後からは3局ほど指すことが多かった。持ち時間は20分で、切れたら30秒将棋になる。

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