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「なんなんだ、こいつら」対戦相手が衝撃を受けたPL学園のKKコンビ「清原もすごかったけど、桑田の打撃が特にすごかった」「落ちてこない飛球は…」
text by
阿部珠樹Tamaki Abe
photograph byKatsuro Okazawa/AFLO
posted2023/12/12 11:01
1985年夏の甲子園、開会式前のPL学園の桑田真澄と清原和博
その夏、期間中に、日航機の墜落事故が起こり、騒然とした空気の中で大会が進んでいく。PL学園は最初の東海大山形戦で29対7と大勝する。32安打を放ち、毎回得点という勝利は、優勝への備えが万全であることを見せつけた。つづく3回戦は桑田が津久見高校を完封した。
そして準々決勝。相手は2年前と同じ高知商業である。高知商にとってもPLは因縁の相手だった。全国制覇まであと1イニングと迫った'78年夏の大会では土壇場で追いつかれ、サヨナラ負けを喫している。2年前は8点差を1点差まで詰めながら、最後の一線が越えられなかった。
監督の谷脇一夫は2年前の対戦よりも自信を持っていた。あの時は1年生中心のチームということで軽く見た嫌いがあった。今度は違う。自分たちの戦力も整っている。特にエースの中山裕章は桑田に引けを取らない力があると信じていた。
「私は中学の有望選手だといわれても、自分で見たりはしないんですが、彼だけは見に行って、ぜひウチにということで入学してもらった。それだけの素材でした。打つほうも、選抜で優勝した伊野商の渡辺君を打ち崩して予選を勝ってきたので勝負になると思っていましたね」
2年前には8点リードされて追い上げたが及ばなかった。なんとしても先制を。期待通りにチームは2回表、桑田から2点を奪う。早いカウントからストレートをねらう作戦が功を奏した。
「あの本塁打は大きかった」
しかし、この2点がかえってPLを目覚めさせてしまった。3回裏、連続四球とバスター、二塁打などがからむPLの硬軟取り混ぜた攻めは、中山から4点を奪った。だが、それ以上に決定的なダメージになったのは5回裏の2本の本塁打だった。
「あの本塁打は試合の上でも大きかったし、当たりとしても大きかった。特に清原。レフトスタンドの中段まで飛んだんじゃなかったか」
150kmを超えるストレートで押す中山の投球がそこまで運ばれたのははじめてだった。一方、桑田の方はライナーで一直線に飛び込む一打だった。かつて8点差を追いかけ たことを考えれば、4点差でひるんではいられない。だが清原、桑田の強烈な2本は、高知商の意欲を消すには十分なものだった。
<続く>