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甲子園の風BACK NUMBER
名門・横浜高野球部“パワハラ解雇”の指揮官が神戸の新興校で挑む「新スタイル」…解任後は「自分を見つめ直す時間に」《YouTubeで野球動画制作も》
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph byFumi Sawai
posted2023/11/28 06:02
昨年から彩星工科高を率いる平田徹監督。横浜高監督時代は4度の甲子園出場経験がある
指導の場から離れた期間はYouTubeで動画制作も…!
教え子に頼まれてYouTubeの動画制作にも携わった。指導の場から離れ、違う角度から野球を見つめることで、様々なものの見方ができるようになったという。
「勉強するってインプットするイメージがあると思うんですけれど、YouTubeは野球に詳しい人だけでなく、詳しくない人も含めた不特定多数の人が見るので、誰が見ても分かりやすく作り上げて出さないといけないんです。普段、グラウンドにいる時は“こんなこと言わなくても分かるだろう”と、細かいところをぼやかしていることが多いですけれど、実はそれは良くなくて、“これはどういう意味があってやるんですか”って聞かれた時に、“こういう理由でやるんだよ”って僕が言えたら選手はちゃんと頑張ってくれる。
ぼんやりしていたものをくっきりさせる、感覚的に理解していたものを言語化する。それを多くの方に見てもらっても『ん?』ってならないように、整理してブラッシュアップしてネットにアップすることを1年以上やっていたので、インプットもさることながら、アウトプットに力を入れてきたことは大きかったですね」
そうした作業を重ねる傍ら、平田にはもし現場に復帰できるとしたら、新設校、もしくは長年低迷していた学校で指導してみたいという願望があった。その矢先に舞い込んできた村野工業の話だった。村野工業は92年センバツを最後に聖地から遠ざかっており、23年4月から彩星工科に校名変更することが決まっていた。
「神戸に行くことに抵抗はなく、むしろワクワクしました。関東を離れることに違和感もなかったし、今までのしがらみもなくなりますから」
23年春から強化クラブになったとはいえ、平田が監督に就いた昨秋当時に在籍していたのは、スポーツ制度が整備される前に入学した一般入部の生徒ばかりで、ほとんどが軟式野球部出身だった。監督に就任する前、4月から7月の顧問だった期間は「前監督の手前もあるので」と、グラウンドには顔を出さず、近畿圏の中学生を見て回った。
「兵庫県では他県に流出している選手が多いようですが、神戸近郊でも素晴らしいチームや選手はたくさんいて、そういう選手を地元に残したいと思っています。だから(今までの人脈のある)関東までわざわざ声を掛けに行くつもりはありません。それに、遠方となると親御さんの経済的な負担も大きくなる。応援に行くにもすぐに行けないでしょう。最近だとコロナで移動しづらい時期もありましたので、遠くに行かなくても地元にいい学校があるよ、と、ウチでプレーしたいと思われる野球部を作りたいんです」