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羽生善治「大山康晴先生は晩年も迫力と強さが」と感服、69歳死去直前の名人戦PO進出…竜王・谷川浩司戦での“大山将棋の神髄”とは
text by
田丸昇Noboru Tamaru
photograph byKeiji Ishikawa/Kyodo News
posted2023/11/29 11:02
今もなおトップ棋士の1人である羽生善治九段も、大山康晴十五世名人の“強さのピーク期間”継続には敬意を隠さない
疲労と食欲不振が続いた。医師は散歩と昼寝による静養を勧めたが、大山は何もしないのに等しい生活はとても辛かった。休場せずに公式戦で対局し、栃木県・日光での名人戦の対局で特別立会人を務めた。また、山梨県の温泉旅館で知人たちと大好きな麻雀を打った。そうして出かけたり人と交流するのが、自身の生きがいだった。
ところが7月上旬に大山の体調は急変し、都内の病院に入院した。面会者に「今度が一番きついわ」と弱音をもらした。7月16日に後援者や親族が集まり、引退か現役続行かの去就について話し合った。結論は後者だった。その2日後に昏睡状態に陥った。
大山夫人と升田夫人が会って2人の故人を偲んだ
1992年7月26日22時45分。大山は現役A級棋士のまま69歳で死去した。葬儀は29日に東京・杉並区の築地本願寺で執り行われ、1000人以上の会葬者は大名人との別れを惜しんだ。大山は、1991年4月に73歳で亡くなった兄弟子の升田に、あの世から呼ばれたのではないかといわれたものだ。
大山の死後、大山夫人と升田夫人が会う機会があった。生前は両家の付き合いはほとんどなく、両夫人はそれぞれの夫に悪口を聞かされていた。その場ではしみじみと語り合い、2人の故人を偲んだという。