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藤井聡太も達成の全冠制覇者・大山康晴だが…「見込みがない。田舎にさっさと帰りなさい」“兄弟子”升田幸三との確執が生まれるまで
text by
田丸昇Noboru Tamaru
photograph byJIJI PRESS/Keiji Ishikawa
posted2023/11/29 11:00
大山康晴十五世名人と藤井聡太竜王・名人(大山は1992年撮影)。同じ全冠達成者であるが、大山が頭角を現すまでの経緯とは?
同僚たちは中国や太平洋に出征し、大半が故国に還れなかった。大山は体が丈夫ではなかったので、国内に留まることができた。そして1945年8月に終戦となると、大山は同年10月に故郷の岡山に戻った。畑仕事をしたり製粉業を始め、一家は何とか生活した。
一方の升田は南太平洋の島で生き延びて、同年12月に船でようやく帰国した。故郷の広島に戻り、軍隊生活によって疲弊した体の回復に努めた。
実力本位の「順位戦」制度によってチャンスが
戦後まもない1945年11月。東京・目黒の将棋大成会仮本部に棋士たちが集まり、臨時総会が開かれた。その席上で会長の木村名人は、従来の段位主体の制度を撤廃し、実力本位の「順位戦」制度を提案した。ABCのクラスで棋士を査定する現行の制度である。木村の重大な動議は、話し合いの末に賛同された。この制度改革は、将棋界が復興する端緒となった。
故郷で暮らしていた大山と升田に、盤上で再び活躍する機会がやってきた――。
<第2回に続く>