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命を賭してA級順位戦に…死の4カ月前、不屈の大名人・大山康晴が挑んだ“最後の大勝負”「あのプレーオフこそ大山先生の絶局だった」

posted2023/10/15 17:00

 
命を賭してA級順位戦に…死の4カ月前、不屈の大名人・大山康晴が挑んだ“最後の大勝負”「あのプレーオフこそ大山先生の絶局だった」<Number Web> photograph by Masaru Tsurumaki

1992年3月、大山康晴はがんと闘いながら名人挑戦権を争う順位戦A級プレーオフに進出。同年7月、A級在籍のまま69歳でこの世を去った

text by

北野新太

北野新太Arata Kitano

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Masaru Tsurumaki

昭和に一時代を築いた巨星が、棋士人生最後の大勝負に臨んだ。この世を去る4カ月前、名人挑戦を懸けた第50期順位戦A級プレーオフ。誰もが驚いた一手詰めはなぜ生じたのか。60歳を超えた今も戦い続ける当時の対局者、高橋道雄が真相を語った。
※初出は2022年1月20日発売Number1044号掲載 [大名人の“絶局”]大山康晴「不屈の王の最後の呟き」 年齢、肩書はすべて掲載当時

 凍てつく寒さの朝も、大山康晴はコートを着なかった。

 冬の対局日。JR千駄ケ谷駅を出て、将棋会館へと足早に向かう。急ぐ人が横を通り過ぎて自らの前に出ると必ず抜き返したという負けず嫌いの逸話は、いかにも作り話のようだが複数の目撃談が残っている。

 ところが、最後の冬だけは丈の長い外套を羽織っていた。あの朝もポケットに手を入れ、穏やかな足取りで戦いの現場に向かった。

「あのプレーオフこそ大山先生の絶局だった」

 1992年3月9日、第50期順位戦A級プレーオフ。名人挑戦を目指して68歳の大山と激突した高橋道雄にとって、生涯忘れ得ぬ一局となった。

「あのプレーオフこそ大山先生の絶局だったと当事者として実感してます。最後に心の底から勝とうとした一局だったと思うので。対局者として大山先生と向き合えたことはとても幸福なことでした。自分にとって雲の上の上。遠すぎる存在ですから」

 通算1433勝、タイトル獲得通算80期、棋戦優勝44回。昭和の大名人が残した数字はどれも偉大だが、最も語られ続けている記録は名人在位18期を含めて順位戦A級に44期も君臨し続けたことだろう。

 太平洋戦争勃発前の'40年に16歳で四段に昇段。戦後の'52年に29歳で名人位に就いた棋士が高度成長期から長い王朝を築き、平成期に突入してもなお名人挑戦権を争う十傑に名を連ねたのは神の成す業と表してもいい。'84年春、結腸がんの判明によって同年の順位戦を休場する窮地に陥ったが、復帰した翌年度のA級を制し、63歳にして名人挑戦を果たしている。

 '91年10月、胸の奥にあった不安は現実になる。今度は肝臓がんを告げられたのだ。

 12月5日に手術を受け、同23日に退院。年明けの20日には早くも公式戦に復帰した。強行日程の理由はひとつ。入院時に3勝3敗だったA級は残り3局を不戦敗とすれば危機に瀕する。命を賭してでも死守しようとした。

 入院と手術、闘病と奮闘が伝えられる度に「大山頑張れ」の声は棋界の範疇を超え、社会的な拡がりを見せていった。

【次ページ】 がんと闘いながら名人挑戦権を争うプレーオフに進出

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