- #1
- #2
“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「足裏がゴツい、指が長い」“下駄”で走り回っていた佐野海舟(22歳)ビックリ幼少時代…森保ジャパン新戦力“驚異的な回収力”のナゾ
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byKiichi Matsumoto
posted2023/11/24 11:03
下駄を履いて田んぼで走り回る幼少期を過ごした佐野海舟(22歳)。驚異的なフットワークの秘密に迫った(小学生時代の写真は父・龍一さん提供)
龍一さんは幼い頃から高校までアルペンスキーの大回転の選手だったこともあり、足首や膝の使い方、柔軟性の重要性を痛感してきた。さらに龍一さんには前十字靭帯断裂という大ケガを負いプロサッカー選手の道を断念した友人がいた。リハビリに付き添った際、その友人の足が“内爪”だったことに気づいた。
そんな数々の経験を知人のアスレティックトレーナーに話した際に、「小さい頃から靴に慣れることで指が使えなくなる」ことを教えられ、裸足や下駄で過ごすことのメリットを伝えられた。そして海舟が生まれ、息子たちには不自由のないようにと実践に移したというわけだ。
「せっかくそのスポーツが好きになったのに、ケガで出来ない、夢を諦めないといけないのはもったいない。息子たちにはそんな思いはさせたくなかったんです」
保育士さんも戸惑った“下駄を履く兄弟”
下駄と言っても、硬い1本歯のものではなく、比較的柔らかい桐の歯で作られた2本歯の下駄と龍一さんは言う。とはいえ、体重が内側や外側にかかるとすぐにバランスを崩してしまう。足がすっぽ抜けることもあった。
この習慣が始まったのは海舟が5歳、弟の航大は2歳のことである。その姿は周囲には少なからず“異質”に映ったはずだ。
「靴じゃなくていいのですか?」
下駄で保育園にやってくるのは当然、佐野兄弟だけ。当時の保育士さんも戸惑っていたという。
遊び場は佐野家周辺の田んぼ。水を抜いた時期にはそこでサッカーだけでなく、野球やドッジボールなどさまざまなスポーツで遊んでいた。稲が刈り取られたあとの田んぼは稲の根本が残っており、足を切ったり、足首を捻ったりしやすく地面も柔らかい。もちろん、その環境下でも“裸足で下駄”だったが、佐野兄弟はどんなに激しい運動をしても捻挫などのケガは一切なかったという。公園でジャングルジムに登っても、ブランコに乗っても、鬼ごっこで走り回っても、当初はすぐに脱げていた下駄が1〜2年すると自然と履きこなせるようになっていた。
「さすがに大きくなってきたら『下駄は恥ずかしい』と言うようになってスニーカーになりました」と龍一は懐かしそうに笑うが、佐野兄弟は小学3年生まで下駄を履き続けた。