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スポーツ・インテリジェンス原論BACK NUMBER
「フランス料理マズいでしょ?」フランスの田舎で尊敬される日本人“ミシュランシェフ”がいた…ラグビーW杯で私が出会った「人生最高のガーリックライス」
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byKiichi Matsumoto
posted2023/11/28 11:05
フランス西部の小都市アンジェ。人口15万人ほどのこの街で、筆者は日本人“ミシュランシェフ”と出会う
シェフは福井県出身。「学校では、決して真っ直ぐではなかったですが、先生方が優しかった」。弟さんは現在も福井に住み、なんと福井県ラグビー協会の役員だという。
シェフは大阪の日航ホテルを皮切りに料理への道に入った。
「いろいろなお客様がいらっしゃいました。芸能人、政治家、その筋の方。面白かったですよ」
10代の時からあこがれていたフランスに拠点を移した時は「もう若くはなかったです」という。食の都・リヨンなどで働き、フランス人の女性と結婚、自分でお店を構えるまでになった。だが2012年、連れ添った奥様を看取ることになった。「どうしようか」と考えた。
「彼女の故郷がアンジェでした。アンジェにあるお墓に眠ってもらい、彼女との縁がある場所でお店をひとりでやろうと思いました。その前には、人を雇ったこともありましたが、トラブル続きでした。薬物、お酒に依存している人もいましたし、レジのお金がなくなっていることも珍しくなくてね。だから、ひとりでお店をやりたかったんです。アンジェでね」
日本人のお客さんはほとんどおらず、アンジェの常連さんたちがお店を支えてくれるようになった。
御礼は「お店を再訪すること」
そして数年ののち、ミシュランに掲載され……私はミシュランでKAZUMIと、そして畠中シェフと出会った。リヨンの売店で1200ページの世界で最も有名なガイドブックを買っていなければ、この夜のドライブはなかった。
ひとつの流れが、この旅にはあった。
もっと、もっと話を聞いていたかったが、時計の針は1時半に近づき、車は私たちのホテルの前に止まった。なんだか、名残り惜しかった。
車から降り、畠中シェフとがっちりと握手をした。
Mくんと私は、シェフの車が見えなくなるまで見送った。
文藝春秋写真部員Mくんが言った。
「シェフ、すごい人ですね」
畠中和美シェフはタフで、優しい人だった。
この夜の御礼は、お店を再訪することだと胸に刻みながら。
<続く>