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「早く引退してミット持ったれ」「脳がむくんでいるよ」崖っぷちから手にした世界のベルト…ボクサー石田順裕が“世紀の番狂わせ”の主役になるまで 

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渋谷淳

渋谷淳Jun Shibuya

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photograph byJIJI PRESS

posted2023/11/12 17:01

「早く引退してミット持ったれ」「脳がむくんでいるよ」崖っぷちから手にした世界のベルト…ボクサー石田順裕が“世紀の番狂わせ”の主役になるまで<Number Web> photograph by JIJI PRESS

“最激戦区”の中量級でWBA世界スーパーウェルター級暫定王者に輝いた石田順裕。波瀾万丈のボクシング人生をロングインタビューで振り返る

「先生は試合に出えへんの」「じゃあ出てみるわ」

「プロでご飯を食べていくのは難しいですから、大学を出るときにプロという選択肢はなかったです。もともと自分に自信のあるタイプでもないので……」

 児童養護施設には、さまざまな事情で家族と暮らせない小学生から高校生までが生活していた。石田は施設に住み込み、同僚と2段ベッドで寝起きしながら、子どもたちの面倒を見た。しばらくすると、ボクシング部に所属する高校生から「昔ボクシングをしていたなら教えてほしい」と頼まれる。これが大きな転機となった。

「その子から『先生は試合に出えへんの』と言われて、『じゃあ出てみるわ』と。それで2日しか練習せずに全日本社会人選手権に出たら、優勝してしまったんですよ。次の年の全日本選手権も“旅行気分”だったのに3位に入った。それからですね、プロ入りを考えるようになったのは」

 練習は「しなかった」というよりも、できなかった。石田は児童養護施設で働きながら、社会福祉主事という資格を取るために、夜は学校に通って勉強していたのだ。ボクシングの練習をする暇はない。それでも大会に出て、アマチュアのトップ選手と互角以上に渡り合うことができた。心の中で動くものがあった。

「同級生の本田秀伸がプロで日本チャンピオンになって、大学で同期の興梠貴之も活躍していた(のちに日本王者)。彼らからの刺激もありましたけど、やっぱり施設で『ボクシングを教えてほしい』と言ってきた子の存在が大きいですよね。あの子がいなければ、社会人選手権にも出ていない。プロには行ってなかったと思います」

 2年半ほどで仕事を辞め、石田はプロボクサーとしての道を歩み始めた。とはいえ志はそれほど高くもなく、「日本チャンピオンくらいになれたらいいな」くらいの気持ちだったという。世界チャンピオンなど、夢のまた夢だった。

【次ページ】 キャリア序盤で連敗「早く引退してミット持ったれ」

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