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「早く引退してミット持ったれ」「脳がむくんでいるよ」崖っぷちから手にした世界のベルト…ボクサー石田順裕が“世紀の番狂わせ”の主役になるまで 

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渋谷淳

渋谷淳Jun Shibuya

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posted2023/11/12 17:01

「早く引退してミット持ったれ」「脳がむくんでいるよ」崖っぷちから手にした世界のベルト…ボクサー石田順裕が“世紀の番狂わせ”の主役になるまで<Number Web> photograph by JIJI PRESS

“最激戦区”の中量級でWBA世界スーパーウェルター級暫定王者に輝いた石田順裕。波瀾万丈のボクシング人生をロングインタビューで振り返る

キャリア序盤で連敗「早く引退してミット持ったれ」

 2000年5月にプロデビューすると、アマチュアでの経験がものをいい、翌01年3月には東洋太平洋スーパーウェルター級王座を獲得。しかし初防衛戦で敗れ、たちまち低迷してしまう。4カ月後の日本タイトルマッチで敗れて連敗を喫し、翌02年も東洋太平洋タイトルマッチ、日本暫定王座決定戦に連敗。キャリア序盤で、早くもボクシング人生の危機に陥った。

「最初に東洋を取って、『これはいけるんちゃうか』と思いましたけど、いま考えたら会長のマッチメークでタイトルを取らせてもらったようなものでした。ジムでは当時、徳山昌守さんが世界チャンピオン。自分は2番手だったのに、後輩の小島英次や山本大五郎に抜かれて、スポンサーの方から『早く引退して大五郎のミット持ったれ』なんて言われて、何とかお願いして現役を続けさせてもらっているような……。あのころはきつかったですね」

 このころの石田は「勝負弱い」というイメージを引きずっていた。身長187センチと体格に恵まれ、スピードがあり、テクニックもある。潜在能力はだれが見ても高く、だからこそ勝ちきれない姿は「歯がゆい」と感じさせた。だれよりも歯がゆい思いをしていたのが本人であることは、言うまでもないだろう。

 くすぶっていた2003年9月、日本タイトルを10度防衛したベテラン、大東旭とのノンタイトル戦が組まれた。ちょうど結婚が決まって間もないころで、「絶対に負けられない」と考えた石田は、のちに練習の拠点となるアメリカへ行くことを決意した。

「大一番でいつも負けていたので、とにかく変わらなアカンと。藁をもつかむ思いでアメリカに行ったんですよ。正直なところ、別世界というくらいレベルが違うと思っていましたが、向こうの選手とスパーリングをして『けっこうオレもいけるやん』という気持ちになれた。自信になりましたね」

【次ページ】 苦難を乗り越え、34歳で世界王者に

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