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「早く引退してミット持ったれ」「脳がむくんでいるよ」崖っぷちから手にした世界のベルト…ボクサー石田順裕が“世紀の番狂わせ”の主役になるまで
posted2023/11/12 17:01
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph by
JIJI PRESS
「ボクシングが嫌で仕方なかった」気弱な少年時代
石田順裕の代名詞といえば2011年4月9日、世界のボクシングの心臓とも言える米ラスベガスのMGMグランドガーデンアリーナで行われたジェームス・カークランド戦だろう。無名の日本人ファイターが無敗(27戦27勝24KO)のミドル級ホープに初回TKO勝ちを収めたのだから、世界が驚いた。アメリカの老舗ボクシング誌『ザ・リング』がこの試合をアップセット・オブ・ザ・イヤーに選出したことからも、その衝撃の大きさがよく分かる。
石田はこの試合をきっかけに飛躍を遂げ、スター選手のポール・ウィリアムス、WBOミドル級王者のディミトリー・ピログ、そしてWBAミドル級王者のゲンナジー・ゴロフキンと海外で対戦。日本人が厚い壁に阻まれ続けた中量級で、確かな足跡を残したのである。
だが、決して順風満帆なボクシング人生を歩んだわけではなかった。現在は大阪府寝屋川市で寝屋川石田ボクシングクラブを開く48歳は、柔和な笑顔を浮かべながら自らのボクシング人生を語り始めた。
「ボクシングは小学生のとき、父親に無理矢理やらされたんです。気が弱い子で、父親は何とか気を強くさせたいと思ったみたいですね。だから最初、ボクシングは本当に嫌で、嫌で、仕方がなかったんですよ」
憂鬱な気持ちでジムに通う少年はやがて才能を磨かれ、高校は大阪のボクシング名門校・興國高に進学。高校選抜で全国優勝に輝いた。さらに進学先の近畿大ではキャプテンを務め、国体2位の成績を収めた。ところが、石田は大学卒業と同時にあっさりとグローブを置く。他の多くの学生と同じように就職し、児童養護施設で働き始めたのである。