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「完璧に舐められていましたね」“噛ませ犬”扱いの日本人ボクサーが27戦全勝のホープを秒殺TKO…石田順裕がラスベガスを熱狂させた伝説の夜
posted2023/11/12 17:02
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph by
Naoki Fukuda/AFLO
「年取ってから酒飲んで愚痴たれるのが目に見えてる」
WBA世界スーパーウェルター級暫定王者だった石田順裕は2010年10月9日、メキシコでリゴベルト・アルバレスに敗れて王座を失った。35歳の石田は引退しようと考えていた。負けたこと以上に、所属ジムとトラブルを抱え、精神的に追い込まれていた。マネジメントや移籍に関して、選手とジムがもめるケースの多かった時代である。
ボクシング人生の幕を閉じようとしていた石田を、妻の麻衣さんが引き止めた。
「辞めると言ったら、嫁さんが『アカン』と。自分に限界を感じて辞めるならいいけど、ボクシング以外の理由で辞めたら絶対に後悔する。年取ってから酒飲んで愚痴たれるのが目に見えてる。だからそれだけはアカンと」
自分自身も納得はしていなかった。世界チャンピオンになれば人生は変わると思っていたが、変わらなかった。初防衛戦は井岡一翔のノンタイトル戦の“前座”に組まれ、ファイトマネーが激変したわけでもない。冴えない現実は、かつて思い描いた世界王者のイメージとはかけ離れていた。だからこそ、まだまだリングに立ちたいという思いは強かった。
とはいえ自身を取り巻く状況はもつれにもつれ、ジムの移籍はままならず、先に進もうにも身動きが取れない。そこで日本のルールが及ばないアメリカに活路を求めた。03年に初めてアメリカ合宿を行った石田は、07年から試合前はロサンゼルスで合宿を張り、トレーニングをするようになっていた。
合宿といっても、潤沢な資金があるわけではない。トイレとシャワーが共同、2段ベッドの安ホテルに寝泊まりし、スーパーでチキンを買って自炊をするような生活だ。それでもルディ・エルナンデス、岡辺大介トレーナーの指導を受け、層の厚いアメリカの中量級選手とスパーリングをして腕を磨き続けた。