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掛布雅之でも岡田彰布でもバースでもなく…1985年阪神タイガース、日本一の理由は“最強打線”ではない? 吉田義男監督が語った強さの秘密
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2023/11/04 06:16
1985年日本シリーズを制し、阪神は球団初の日本一に輝いた。当時のチームの強さの秘密とは…
甲子園球場で試合のあるときには、昼前に球場に入って先に打ち込みを終えて、試合ではベンチにどっかと腰を下ろして野次将軍となる。ときには失敗した選手を叱り飛ばし、吉田の采配に面と向かって文句をいうこともあった。
「川藤が言うことですべて丸く収まった。そういう意味で彼の存在というのはめちゃくちゃ大きかった」
一軍の守備コーチだった一枝修平は語っている。
この日航機墜落事故の直後から始まった連敗のときも、選手会長として岡田が動き、その岡田を掛布が前に出て支え、川藤が陰から支えたのである。
それまでなら選手は「所詮、こんなもんやろ」と諦め、自分の成績を上げることに一生懸命になってバットを振り回すだけだった。だが、'85年のこのチームでは川藤という1人の存在が、チームをひとつの方向に向け、力が集結された。その結束が優勝の大きな原動力となったのである。
結局、選手だけでミーティングを行った18日の試合も阪神は敗れた。しかしこの選手の結束を知っていた吉田は、試合後に清々しい表情でこう語っている。
「今日の全員一丸のムードは必ず次につながっていくと思います」
日航機墜落事故と中埜の死という悲劇から始まった連敗だった。その悲劇を敗北の理由にしないためにも、勝たなければならないという思いが空転する日々が続いていたが、このミーティングで選手が一丸となって窮状を打開しようと結束した。敗れても、吉田もまた優勝への手応えを感じた瞬間だった。
吉田監督が振り返る「1985年のチーム」
ミーティングから3日後の8月21日の大洋戦(横浜)で連敗をストップすると、チームは逆に以前にも増した勢いでVロードを驀進することになるのである。