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掛布雅之でも岡田彰布でもバースでもなく…1985年阪神タイガース、日本一の理由は“最強打線”ではない? 吉田義男監督が語った強さの秘密
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2023/11/04 06:16
1985年日本シリーズを制し、阪神は球団初の日本一に輝いた。当時のチームの強さの秘密とは…
「ワシは何を話したかは忘れたわ」
このときのことを聞くと川藤は、こう横を向いてとぼけた。
「ワシがああいうところで何かを言っても意味がない。表への出し方は岡田であり、掛布の方がチームはまとまる。ワシは裏の役割。2人が前に出た方がいいし、あのときはみんなの雰囲気がそうさせたんや」
代打要員としてこのシーズンはずっとベンチ入りしていた川藤だが、1年間で放った安打はわずか5本(そのうちの1本は優勝が決まった後の最終戦だから実質は4本)しかない。9月14日の中日戦(甲子園)の6回1死から投手の野村収の代打で捕飛を打ち上げたのを最後に、優勝が決まるまで打席にも立っていない。
それでも吉田は貴重なベンチ入りの25人の中に、この男をずっと入れ続けた。川藤には選手と首脳陣を結んでチームをまとめるパイプ役としての働きを託していたからだった。
「ワシらが入った頃から阪神タイガースはずっとスターがメインにおるチームやった。投手側、野手側……必ず両方にスターがいて、スター中心のチームだったんです」
川藤の阪神諭である。
川藤が言うことですべて丸く収まった
「スターと監督に確執が起こるとフロントはどうするか。全部、スターをとってきた。だからスター選手は『オレはこうしとったらエェんや』と自分のことばかり考えるようになって、オレありきのチームになってしまう。そうなったら巨人とは勝つ意識が根本から違ってくるわけですよ。だからそういうことを含めて、選手の顔をチームに向かせる、そういうまとめ役が必要やということでした。それがワシやったということなんです」