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ランディ・バースが語った伝説の3連発「掛布の当たりは打った瞬間入ると思った」「岡田の打球は完璧だった」《1985年阪神優勝秘話》

posted2023/11/04 06:15

 
ランディ・バースが語った伝説の3連発「掛布の当たりは打った瞬間入ると思った」「岡田の打球は完璧だった」《1985年阪神優勝秘話》<Number Web> photograph by KYODO

1985年の阪神対巨人戦で、阪神クリーンナップによる「伝説のバックスクリーン3連発」の1本目を放ったランディ・バース

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鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

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KYODO

 阪神タイガースは1985年、球団史上初にして唯一の日本一を果たした。バース、掛布、岡田によるバックスクリーン3連発を始め、チーム本塁打219本を放った猛虎打線の爆発。この年のタイガースは、そう記憶されていることだろう。だが、指揮官・吉田義男が求めたのは“チームー丸”だった。
 日本シリーズで優勝に王手をかけた岡田監督率いる阪神タイガース。38年ぶり、2度目の日本一は成るのかーー。Number885号(2015年9月3日発売)に掲載された[球団史上初の日本一]「猛虎がひとつになった年」を特別公開します。*肩書は当時【全2回の前編/後編へ】

伝説のバックスクリーン3連発

 1985年(昭和60年)は阪神の球団史に於いて特別な光を放つシーズンである。

 吉田義男監督が率いたこの年のチームはランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布というクリーンアップを軸にした最強打線を背景に21年ぶりのリーグ制覇と球団史上ただ1度の日本一へと登りつめた。

 その序章となったのが4月17日、甲子園球場での巨人戦で飛び出した伝説のバックスクリーン3連発である。

 立役者の一人、ランディ・バースはそのときのことをこう振り返る。

「あの年のチームはパワーのあるチームだった。カキ(掛布)、岡田、真弓……ピッチャーは少し弱かったけど、打線にはその弱さもカバーできるぐらいのパワーがあった。勝つためには自分がもう少し打つことだった。そうすればいけるんじゃないかと思って臨んだシーズンだったんだ」

 2点差を追う7回だった。2死一、二塁で3番・バースが打席に立った。マウンドは150kmの豪球で売り出し中のパワーピッチャーだった槙原寛己だ。

「槙原は150kmを超すストレートを投げる生きのいいピッチャーだった。しかも前の打席ではシュートを打ってゲッツーに倒れていたから、あの打席ではムリに引っ張らずにセンター方向に打ち返すことを意識していたよ」

 狙い通りに初球の144km、甘く入ったシュートを捉えた。

「自分の中では感触は悪くなかったけど、完璧ではなかった。だから打った瞬間はフェンスにダイレクトに当たるか、ひょっとしたらスタンドに入るかなと思った。そうしたら打球は思った以上に伸びていった」

 センターのウォーレン・クロマティが見上げる頭上を超えて、打球はバックスクリーンへと飛び込む1号3ランとなった。

バースが語る“伝説の意味”

 そして続く掛布も槙原のストレートを捉えてバックスクリーン左(正確に言えば横の通路)に、さらに岡田が今度はスライダーを打ち返して3連発は完成する。

【次ページ】 バースが語る“伝説の意味”

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