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「あんたら、“悪の枢軸国”や」“日大クエスト”でベスト8、おかやま山陽・堤尚彦監督が就任当初に受けた“地元からの洗礼”
text by
堤尚彦Naohiko Tsutsumi
photograph byKYODO
posted2023/08/20 11:07
神村学園に敗れるもベスト8入りの快進撃を果たした、おかやま山陽。2006年、新任した堤尚彦監督の船出は、かなり厳しいものだった
曲がりなりにも指導者としてキャリアを重ねた今、斎藤と昔話をすると感じることがある。ひょっとするとこの代が、私が指揮したチームの中で“最強”だったのではないか、ということだ。いや、最も強いというよりも“最も上手かった”の方が適切か。この「上手いではなく、強い」は、私の指導方針、チーム作りを語る上でのキーワードになるので、覚えておいてほしい。
チームは強いが、勝ち切れない
監督となって初めての甲子園を目指した06年夏は、3回戦敗退。岡山城東に3対6で退けられた。今になって振り返ると、私の戦術面の知識のなさ、采配の勘の悪さがすべてだったと感じる。
夏の大会が終わり知念たちが最高学年となる新チームがスタートするが、練習試合で打線が長打を連発するなど、新チームも力は申し分なかった。秋の西部地区予選を突破し、県大会に進出。初戦敗退はしたものの、理事長の求める結果を残すことができた。だが、この後すぐに「県大会に出場し続ける実力をキープする」「地域から愛される野球部になる」という目標を達成するのがいかに困難なことかを身をもって味わうことになる。
年が明け、07年に突入してからの打線は絶好調だった。しかし、この年の3月に、埼玉西武ライオンズが、ある大学生のスカウティングの際に金銭供与を行っていたことが発覚。
その選手が高校時代、入学金や授業料の一部が免除となる、“特待生”として在学していたことから、日本高等学校野球連盟(日本高野連)は、全国の高校が特待生制度を適切に運営しているかの調査に乗り出した。おかやま山陽もこの“特待生問題”の煽(あお)りを受け、一時期対外試合を実施できない事態となった。思わぬ逆風に見舞われたものの、夏の開幕を前にして、打線全体の高校通算本塁打は100本を超え、チーム打率は4割を上回った。
手ごたえを持って夏の大会に突入するも、2回戦で岡山県共生に敗戦。3対12の完敗だった。結局、この代の最高成績は春の県16強。甲子園のかかった秋、夏の県大会は両大会を合わせてもわずか1勝に終わった。「練習試合では勝てるのに、なぜ公式戦で勝ち切れない?」と、最初は現実を受け止めきれなかった。
<続く>