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「足、震えてましたよ」DeNA山崎康晃“16歳の涙”にあった反骨の原点…最後の夏は屈辱のコールド負けに「恥ずかしくて地元を歩けなかった」
posted2023/08/20 17:01
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph by
Hideki Sugiyama
3番手の控え投手。甲子園での初登板は劣勢での救援であり、試合はそのまま敗れた。何もできなかった悔しさ。山崎の物語は常に、その悔しさを原動力にして進んできた。日本有数のクローザーとなった今も、それが彼を支えている。甲子園の時期に合わせ、Number1008号(2020年7月30日発売)より「〈反骨の源流〉山崎康晃 いつも悔しさを糧にして」を特別に無料公開します(肩書はすべて当時)
2009年8月22日 準々決勝
帝京 3-6 県岐阜商
帝京が初回先制するが、すぐさま逆転。3回に4点を追加される。4回から登板した山崎は3回を無失点に抑えるが反撃も届かず敗戦。
巨大なスタンドに囲まれたグラウンドの真ん中に立つと、華奢な少年の姿はなおのこと小さく見えた。背中には「15」の白布が縫い付けられていた。
'09年8月22日、帝京の2年生だった山崎康晃は、この日初めて甲子園で投げた。準々決勝の4回裏。県岐阜商業に5点差をつけられていた。
「足、震えてましたよ。地に足がついてない感覚で投げていた記憶がありますね」
球は暴れたが3イニングを無失点で切り抜けた。しかし個人としての結果は、敗戦という事実の前にほとんど意味を失った。