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「あんたら、“悪の枢軸国”や」“日大クエスト”でベスト8、おかやま山陽・堤尚彦監督が就任当初に受けた“地元からの洗礼”
posted2023/08/20 11:07
text by
堤尚彦Naohiko Tsutsumi
photograph by
KYODO
この夏、日大山形、大垣日大、日大三と日大付属の甲子園常連校を立て続けに破り、ベスト8入りを果たしたおかやま山陽高校。
そのチームを率いたのが、堤尚彦監督だ。就任当初、青年監督として苦闘の日々を『アフリカから世界へ、そして甲子園へ 規格外の高校野球監督が目指す、世界普及への歩み』(東京ニュース通信社、2023年7月発行 講談社発売)から抜粋して紹介する。(全7回の第7回/前回は#6へ)
そのチームを率いたのが、堤尚彦監督だ。就任当初、青年監督として苦闘の日々を『アフリカから世界へ、そして甲子園へ 規格外の高校野球監督が目指す、世界普及への歩み』(東京ニュース通信社、2023年7月発行 講談社発売)から抜粋して紹介する。(全7回の第7回/前回は#6へ)
なぜ校名の『おかやま』は、ひらがな?
おかやま山陽は、1924年に創立した岡山県生石高等女学校などを前身とする私立高校。2023年現在では特別進学、IT、公務員など7つのコースからなる普通科、卒業時の資格取得に力を入れる機械科、自動車科、調理科、製菓科の全5学科を設置している。前身の一つである山陽工業学校がルーツの機械科、自動車科は、地元の工業系企業の貴重な人材供給源として長い歴史を持つ。学校は岡山県の南西部に位置する浅口市にあり、隣接する倉敷市、笠岡市、広島県福山市から通学する生徒も多い。
よく「なぜ校名の『おかやま』がひらがななのか?」と聞かれるが、2002年4月に「岡山県山陽」から校名を変更する際に、当時の理事長が「漢字で『岡山山陽』だと、『山』が連続して見栄えが良くない」と判断したからだと言われている。
あなたには『地域から愛される野球部』を作ってほしい
野球部は49年に創部。かつては岡山県内でも強豪として知られた軟式野球部があったが、現在は我々硬式野球部のみが活動している。当時、プロ野球選手となったOBには、ロッテオリオンズで投手としてプレーした仁科時成さんがいた。
私が就任した2006年時点では甲子園出場経験はなく、初出場を強く願った理事長は、2000年代前半に他県の公立校を甲子園に導いた手腕を持つ人物を専任監督として招へい。関西や九州から有力選手を野球留学させて、早期の甲子園出場を狙ったが、部内不祥事が続き、立て直しが急務というありさまだった。地元からの評判も良くなかったのだろう。就任時、理事長から真っ先に告げられたのは、次の言葉だった。