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「あの男、甲子園だけ笑うんよ」上甲正典の宿敵、明徳義塾・馬淵史郎が明かす“上甲スマイル”の真実「笑顔なんて見たことがない。鬼。鬼ですよ」
text by
藤島大Dai Fujishima
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/07/19 11:00
上甲正典の代名詞とも言える「上甲スマイル」。その実像を肝胆相照らす仲だった老将と教え子たちの証言で振り返る
「多分にあると思います。大学を卒業してすぐに先生になるのとは違う。世の中、そんなに甘いもんじゃない。僕もいろいろ職が変わってね。そのことについて講義できますよ。上甲さんはジャンルが広かったですよ。政治経済だって何だって」
では外をよくわかる者の「内」の世界、グラウンドにおける上甲野球とはいかなるものか。一般には「攻撃的」と信じられている。事実だろうか。
「確かに『攻撃は最大の防御』という人でした。打つけど守備が不得手という選手がいる。上甲さんは使う人ですよ。よく言ってました。『勝つときは弱いところにボールは飛ばない』って。緻密な野球なら明徳は負けない。100戦なら70勝。上甲さんは初戦負けも多いはずです。でも波に乗ったら上甲さん型のほうが強い」
「守り」の松山商業へのアンチテーゼ
スタイルとは意思の産物である。熟考と決断が割り切りを可能とする。
1976年、上甲は「終着駅」の公立校で最初はコーチとして指導を始めた。環境や条件は「攻撃は最大の防御」におそらく影響している。
馬淵の解説は鋭い。
「愛媛県には松山商業がある。守りのチームです。同じことをしても勝てない」
県立松山商業高校。1919年夏、全国大会初出場。まだ甲子園が会場となる前である。過去、春夏7度優勝。鍛錬と規律が粘りを醸成、しぶとく接戦を制する。
「上甲さんは『守りの野球では松山商業には勝てない。正反対のほうが相手は嫌だろう』と話していた。愛媛の端っこの宇和島ですよ。松山の名門中の名門を倒すのに、アウトかセーフか、くさい球がぎりぎりストライクか、そんなことじゃ勝てない。ド真ん中をいくら打たれてもセンター前で止まるピッチャー、ボールひとつ外れとってもホームランを打てるバッターを育てるんだと。そのことをグラウンドで徹底していたと思います」