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[ナンバー・ノンフィクション]今日は良い日だ。上甲正典、情熱の行方

2022/08/05
異なる2校で愛媛の地に春の大旗をもたらした、スマイルを湛えた鬼がこの世を去ってじき8年になる。上甲正典。豪快にして繊細。称賛もあれば批判もある。だが彼に接した人間は、誰より少年たちに寄り添い、高校野球に生きた純心を、今も忘れることはない。

 愛媛の宇和島は「終着駅」の旧城下町である。地元っ子はもちろん言い返す。

「ここは始発駅です」。そんな山と海に囲まれた土地に「笑う練習」をみずからに課す男がいた。薬屋を営むはずなのに、いつも黒土のグラウンドに立っていた。

 上甲正典。1988年のセンバツ大会、愛媛県立宇和島東高校野球部を率いて全国の頂点へ。のちに私学の済美高校に転じ、2004年の同大会、もういっぺん教え子たちが甲子園の決勝で腕を突き上げた。いずれも初出場の初優勝である。

 宇和島東で春夏11回、済美では同6回、甲子園の土を踏んだ。前述の日本一に加えて準優勝は後者で2度('04年夏、'13年春)。通算25勝15敗の成績を残した。

 勝つだけではない。高校卒業のドラフト1位投手(平井正史、安樂智大)や後年のメジャーリーガー(岩村明憲)らを鍛え、育て、送り出した。8年前に雲上へ向かった。存命なら75歳のはずである。

 上甲監督は「スマイル」で親しまれた。緊迫の攻防にあって日焼けの顔に白い歯が浮かぶ。たちまち南国のぬくい微風がベンチの前を流れた。愛媛の野球人でNHKの解説者であった池西増夫の「もっと楽しまなくては」の助言に従った。攻め勝つスタイルと合わせて「豪」にして「柔」というイメージがテレビ画面に線を結んだ。

 2022年7月。宇和島東と済美のそれぞれの卒業生が「上甲スマイル」について話してくれた。

「スマイルではありませんね。このあと怒るから笑ってる。プラスマイナスはゼロ。試合中、怒っているほうがこちらは安心してプレーできるんです。笑い始めると『この試合、勝たないとまずいな』と」

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photograph by Hideki Sugiyama
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