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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「イチローの打撃練習」の衝撃…“仰木マジックつなぎ役”は見た「イチロー選手は全部HR狙い。誰よりもはるか遠くに…場外弾も」
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byJIJI PRESS
posted2023/07/09 11:00
2003年、オリックス時代の大島公一。現在は法大で助監督を務めている
中西太さんら名指導者からのアドバイス
96年の話に戻すと――この年、大島氏はオリックスで規定打席に到達し、ベストナインにも選ばれている。
〈先日亡くなられた中西太さんがヘッドコーチで、徹底的に教えていただきました。ティーバッティングでは、アウトコースのボールをしっかり見て反対方向に強く低いボールを打つように指導いただきました。「そういう打球が打てるようになればお金が稼げるようになるぞ」と。
自分のエリア、自分の一番力が入るところまでボールをしっかり引きつけて速く、クイックな動きで打つ。足腰をしっかり使いながら、ツイストと表現しますが、そういう動きを徹底して教え込まれました。僕の能力で、あそこまでの成績を残すことができたのは、中西太さんのご指導の賜物ですね〉
さらには守備でもゴールデングラブ賞を3回獲得している。プロの世界でどのようにその技術を磨いていったのか。
〈守備は、福原峰夫コーチにいろいろ教えていただきました。また仰木彬監督も名二塁手でしたからアドバイスをいただきました。
当時はまだコリジョンルールがなくてスライディングが厳しい時代でした。僕は国際試合の経験がありながらもちょっと甘いところがあって、もう少し早く避けた方がいいとか、もっとレフト寄りから投げた方がいいとかたくさんアドバイスをいただきました。
まだ現役の福良淳一さん(現オリックスGM)も守備は絶品だったので、そういう選手の守備も手本にしながら研究しました。僕は守備ができないと試合には出られない選手だったので、アウトを取る方法を徹底的に追求した。だから球界再編のあった2004年を越えても現役が続けられたのだと思います〉
なぜ引退後、コーチを務めてから大学院に?
2004年、大島氏は翌年からオリックス監督に復帰する仰木彬氏にコーチ就任を要請されたが、それを断り分配ドラフトで楽天に移籍、1年現役を続けて引退した。
13年の現役生活は1375試合4170打数1088安打24本塁打334打点71盗塁、打率.261、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞3回、オールスターゲーム出場1回。社会人を経て、ルーキーイヤーが26歳ながら見事な成績を残した。
そんな大島氏は引退後、プロ球団でコーチを務めたのち、筑波大学大学院で学ぶ選択をした。果たしてそこに至る経緯には何があったのか。
<#2につづく>
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。