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「井川は20億、オレは日給7000円で…」“戦力外通告ピッチャー”はなぜ公認会計士になれた? どん底人生を救った阪神時代の「野村ノート」 

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栗田シメイ

栗田シメイShimei Kurita

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photograph byL)JIJI PRESS/R)Shimei Kurita

posted2023/06/27 11:01

「井川は20億、オレは日給7000円で…」“戦力外通告ピッチャー”はなぜ公認会計士になれた? どん底人生を救った阪神時代の「野村ノート」<Number Web> photograph by L)JIJI PRESS/R)Shimei Kurita

元プロ野球選手としては初の公認会計士に転身した奥村武博さん(右)。現役引退後に恩師である野村克也の言葉を思い出した

「野村ノートは、毎日自分が『何が出来ていて、何が出来ていないのか』を書き記すことを選手に課すというものでした。そして、この考え方は野球だけではなく、社会にも繋がっているんだよ、ということを仰られていた。それを思い出して、野球と勉強の共通点に気づき、発想の転換が出来るようになった。野球も勉強も失敗をして、修正してもう一度トライをするというプロセスは全く一緒だと気づいたんです。

 特に投手は四球やミスと失点の理由が分かりやすいポジション。勉強でも失敗の原因を分析する癖がつき、今やるべきことを落とし込めるようになっていった。そこから2年間は猛勉強と効率性重視で明らかに“質”が変わっていったんです。野村さんが課したものの中に、大切なことが込められていたんです」

 この時の気づきは、公認会計士としてだけではなく、引退後のアスリートへのキャリア支援を行う原体験ともいえるものでもあった。

「勉強が楽しくなった」12年後の合格

 そこから勉強をすることの意味、知識を得ることへの意欲も変わっていく。ミスを楽しむ、間違いを恐れない。むしろ勉強をすることが楽しくて仕方がない、というような感覚すら覚えた。

 勉強を野球に置き換えるという着想を得た奥村は、プロを引退して12年後の2013年11月に試験に合格。その後、17年に公認会計士として登録され、晴れて“バッジ”を身につけることを叶えた。

 公認会計士となった奥村は、10年近い月日を経て今では多くのオリンピアンなどの著名アスリートをクライアントに持つようになった。奥村は取材中に、「失敗」と「元アスリートの数字への可能性」という言葉を繰り返していた。コンマ数秒という、シビアな数字(記録)の世界にいた経験は、必ずビジネスの世界でも活きてくる。ビジネスの場で、企業の代表と話すたびにそんな思いも抱くようになった。

「実はそういったアスリートの数字に向き合ってきたという能力を評価している企業人はたくさんいる。ただ、それに気づくアスリートって多くない。スポーツをやってきたことが、必ず次のステージでも繋がってくる。私はそれを野村監督の言葉で気づけた。だからこそ日本の場合はアスリートと企業側の価値観を少しずつ変えていかないと、セカンドキャリアの抜本的な問題解決にはならないというジレンマも抱えています」

【次ページ】 「野村さんは選手を競輪学校に送っていた」

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