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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「井川は20億、オレは日給7000円で…」“戦力外通告ピッチャー”はなぜ公認会計士になれた? どん底人生を救った阪神時代の「野村ノート」
posted2023/06/27 11:01
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph by
L)JIJI PRESS/R)Shimei Kurita
2003年、阪神時代の同期である井川慶はリーグで20勝をあげて18年ぶりの優勝の原動力となり、球界を代表する投手へと成長。その後の2006年には「5年総額2000万ドル(=23.6億円/当時)」で名門ヤンキースの一員になった。
一方の奥村武博は、現役引退後に始めたバーを閉め、その後はバイト漬けの生活を過ごした。ホテルでメロンの種をかきだし、しいたけの軸をちぎるという単純作業の日給は7000円程度。
「いったいどこでこんなに差がついたのか。あの時は本当のどん底でした」
そんな時、奥村はある恩師の姿を思い返していた。
「今思うとですが、僕の人生に一番影響を与えてくれたのは野村(克也)さんなんですよ」
取材時間が2時間を超えた頃、自身の半生を振り返りながら奥村はこう言葉を紡いだ。以前から意識していたわけではなく、何かに気づいたように突然発せられたようにも映った。
「選手時代はよく分からなったことも、選手をクビになり体一つで社会に出された時に『野村さんが仰られていたことの本質は、こういうことだったのか』と気づくことばかりでした。その言葉や考え方は、公認会計士の試験勉強にも繋がっていたんです」
なぜ「公認会計士」を目指した?
プロ野球選手としての時間が終わり、バイト漬けの生活だった奥村が、資格取得を考え始めたのは25歳の頃だった。キッカケはひょんなことで知り合いから「視野を広げなさい」と助言を受けたこと。本屋で見つけたガイドブックを広げると、公認会計士という仕事を知った。仕事内容を詳しく読み込むと、高校時代に勉強した簿記学習の記憶が蘇ってきた。
「公認会計士なら自分のやってきたことが活かせるのではないか」
もともと数字への苦手意識は少なかった。この日からアルバイトを続けながら、少しずつ机に向かう時間を増やしていくことになる。それでも、ほとんど野球しかしてこなかった日々の習慣の反動もあり、本格的に勉強に打ち込むようになるまでは1年の時間を要した。
「野球しかやってこなかったわけですから、机に何時間も座るだけで苦痛なんですよ。それで気分転換という名目で、飲みに行っちゃうという(笑)。当然生活も苦しいですし、何度諦めようと思ったか分かりません」
公認会計士に関わる仕事に就きながら勉強することも考え、会計士事務所に履歴書を30社以上送ったこともある。この時は阪神タイガースと明記したことがウケ、面接まで進むが本採用には至らなかった。元プロ野球選手が公認会計士試験に合格するはずがない、と揶揄されたことも一度や二度ではない。
そんな時、知人の紹介の資格予備校から「勉強しながらウチで働いてみないか」と声をかけられた。試験勉強に集中できる環境が生まれ、2009年には短答式試験に合格。ただ、どうしても論文式試験の壁は越えられなかった。そんな時にふと思い出したのが、一軍帯同時にミーティングで受けた「野村ノート」の存在だった。