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「大竹のこと、心配してたんです」勉強も野球も“超エリートだった”大竹耕太郎の挫折…高校時代の恩師・同級生が語る“阪神で覚醒”の本音
posted2023/06/21 11:04
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph by
JIJI PRESS
昨年12月の現役ドラフトで阪神に移籍した大竹耕太郎、27歳。ソフトバンク「苦悩の5年間」を経て、なぜ覚醒したのか? 「熊本の超進学校出身」「甲子園で大阪桐蔭と対戦」「プロ入り後の挫折」……。高校時代の同級生・恩師の証言から、大竹の素顔と軌跡を探った。〈全3回の#3/#1、#2へ〉
◆◆◆
着信画面には「大竹耕太郎」の文字が浮かび上がっていた。
昨年12月9日の午後、済々黌の元監督・池田満頼の電話が鳴った。「おや?」。その教え子がプロ野球に進んでからメールでなく電話をかけてくるのは2018年の支配下登録以来で、2度目のことだった。
「阪神タイガースに決まりました」
池田はその日に、現役ドラフトが実施されることを知っていた。だから察しはついた。電話に出ると、大竹の声は弾んでいるように聞こえた。
「阪神タイガースに決まりました」
池田もそれに呼応するように「よかったね」と明るく返した。
大竹はソフトバンクに17年育成ドラフトで入団し、1年目から支配下登録されてプロ初勝利も飾った。2年目にはローテーションに入り、17試合に先発して5勝を挙げた。
だが、3年目以降は表舞台で見る回数が極端に減った。20年はウエスタン・リーグで最多勝、最優秀防御率、勝率トップという成績を収めたにもかかわらず、一軍登板はわずか3試合のみ。意地で2勝をマークしたが、21、22年の2年間は一軍登板2試合ずつで未勝利に終わっていた。
恩師の述懐「大竹でもプロは厳しいのか」
「阪神に請われていく。いい移籍だと思いました。ソフトバンクは選手層が厚かった。厳しい競争の中で結果を出さなきゃというプレッシャーで、全体的に縮こまって投げているように見えました。私が済々黌で見ていた、伸び伸びと投げる大竹の姿ではありませんでした」
どのチームにも競争はあるが、大竹は球界屈指の選手層を誇るソフトバンクにいた。恩師は、不安と焦りを抱える大竹の姿を鮮明に覚えている。