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「偏差値70超え」阪神・大竹耕太郎の“超エリートだけど泣き虫だった”話…中高時代の同級生が証言「体育の授業なのに…あいつはガチでした」
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byKYODO
posted2023/06/21 11:02
今季から阪神でプレー。5月に月間MVPを受賞するなど覚醒した大竹耕太郎
「体育祭やクラスマッチもガチ。ある時、体育の授業のソフトボールで大竹のチームが負けたんです。正直、単なる遊びじゃないですか。なのに大竹はめちゃくちゃ悔しがって、しばらく機嫌が悪くなっていた(笑)。『マジか! こんなのも勝ちたいんか』と」
とにかく負けず嫌いだった。
どんな時も。そして、どんな強敵が相手だとしても――。
「甲子園勝利後」の事件
2012年の夏。2年生エース・大竹を擁した済々黌は18年ぶりの夏の甲子園出場を果たす。県大会4回戦以降は大竹が1人で投げ抜いた。
乗り込んだ甲子園でも初戦の鳴門高校戦を3-1で勝利。大竹は4安打しか許さず完投勝利した。
そして、試合後のテレビインタビューである。大竹はマイクの前で「次は大阪桐蔭とやれるので楽しみです」と声を弾ませた。だが、林含めチームメイトはその発言を聞いて仰天した。
「大阪桐蔭はこの年の春のセンバツ甲子園で優勝していて、エースに1学年上の藤浪晋太郎さん、キャッチャーが同世代の森友哉という最強チームでした。ただ、大阪桐蔭は僕らの後に2回戦で木更津総合と戦うことになっていたので、インタビューの段階ではまだ対戦相手が決まったわけじゃなかったんです。みんなで『まだ早いよ』と総ツッコミでしたが、もちろん大竹には悪気があったわけじゃなくて。アイツはきっと、心の底から大阪桐蔭と戦いたかったのだと思います」
結局、大阪桐蔭も2回戦を完勝。両校は3回戦で激突することになった。
林はこの時、ベンチメンバーから外れて補助員としてチームに帯同していたのだが「僕は正直ビビっていました」と回想する。
「僕たちも相当練習してきた自信はありましたが、大阪桐蔭の選手たちは体つきがまるで違う。藤浪さんなんて手足が長くて、まるでエイリアンじゃないかって思うくらい、僕らとは別格でした」
だが、大竹は違った。チームで唯一と言っていい。不安な様子を微塵も感じさせなかったのだ。
「大阪桐蔭にだって勝つ。そんな思いは誰よりも強かったと思います」
かくして公立の超進学校軍団と世代最強チームの戦いが、甲子園という最高の舞台で幕を開けた――。
〈つづく〉
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