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「魔術や! 超奇襲や!」阪神・野村克也監督の”奇策”はいかにして生まれたのか?「奇策は、8割の勝算があって初めて仕掛けるもんや」
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2023/06/06 11:00
1999年から3シーズン、阪神を率いた野村克也監督
ヤクルト監督時代の'95年7月11日、札幌・円山球場での巨人戦で、ライバルの長嶋茂雄監督にこの奇策を決められていたのだ。ヤクルト側にエラーが相次ぎ、2点リードを許した6回1死二、三塁。先発投手の斎藤雅樹が敢行したスクイズで、二塁走者の元木大介まで生還を許した。
「ベンチが用心不足やったな」
野村は渋面を作った。当時、ヤクルトの一軍総合コーチだった松井が明かす。
「チームに少し油断があった。この年は結果的に優勝するんですけど、振り返るとあそこでやられたことでチーム全体が引き締まった。こういうことをやっていたら勝てない、という戒めの日だったと思います」
ノムラの考え「奇策はシーズンの最初にやるのが定石」
失策続きに浮き足立つ守備陣、投手が左腕(石井一久)で、外国人の内野手が絡んだプレーという状況は、'99年の広島と酷似していた。野村は4年越しで鬱憤を晴らしたのだ。
奇策成功から10日余り。4月18日のヤクルト戦では、5回に和田豊がホームスチールを敢行。結果はアウトとなったが、7回には一塁走者の今岡が二盗し、捕手が二塁へ送球する間に三塁走者がホームを陥れるダブルスチールを成功させた。
「野村さんの考え方では、奇策はシーズンの最初の頃にやるのが定石。このチームは何かやるぞと相手に思わせる、考えさせることがその後の試合に生きてくる。逆に後半戦に入ると、手堅く行くとかね。シーズンを通した工夫もされていました」
ワンプレーへの意識を高め、常に状況を把握して考える。個人技頼みではなく、チームとして点を取るために頭を使う。野村は選手の思考を変えることで、チームに染みついた負けグセを払拭しようとしていた。
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