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プロレス写真記者の眼BACK NUMBER
“壮絶すぎる大流血戦”北斗晶vs神取忍はなぜ伝説になったのか? ロッシー小川が明かす30年目の真実「勝った北斗が試合後に泣いていた」
posted2023/04/22 11:05
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
試合開始は23時過ぎ…北斗晶vs神取忍のウラ側
「名前的には、神取忍の方が上でした。1993年の全女(全日本女子プロレス)の25周年記念大会。あれが横浜アリーナを使った2回目(1回目は1989年5月の長与千種の引退試合)です。1992年の11月に川崎市体育館でプレオールスター戦みたいなのをやった。旗揚げして間もないLLPWの風間ルミと神取が来て、それを北斗晶が挑発したんです。北斗は宇野久子から名前を変えてメキシコ遠征に行った後で、キャラの原型ができた。『これで行ける』っていうか、そういうムードになってきていた。1993年の大会前の週かな。『週刊プロレス』が北斗と神取の顔を表紙にしたんです」
ロッシー小川は30年前の“あの日”について語り始めた。
「インターネットなんかない時代ですから、メディアはテレビと新聞と雑誌だけでした。テレビは1カ月に1回の放送なので、あまり宣伝の役には立ちません。だから、新聞と雑誌という紙媒体に頼るしかなかった。雑誌が売れていた時代でしたね」
その頃、『週刊プロレス』や『週刊ゴング』はそれぞれ20万部くらい売れていて、このプロレス専門誌の力が観客動員に大きく影響していた。
「想像を楽しむ時代でした。次の話題まで1週間ありましたから、その時間を使ってね」
小川は当時を振り返り、「終電がなくなってしまったのは想定外でした」と苦笑する。
「夕方に始まって、試合がたくさんあったわけじゃないんですが、選手はみんなが1試合目からメインイベントという感覚で戦った。会場の使用時間をまったく気にしていなかった(笑)。全女のOGたちが集結したセレモニーとかもあって、セミファイナルの北斗vs神取は試合開始が23時を過ぎてしまった」
さすがにまずいと思った小川は、試合前、北斗の控室に行った。
「北斗に『もうこんな時間だから、どうにかしてほしい』と伝えました。『わかりました』という返事はあったけど、試合は30分を超えるものになってしまった。全然わかってなかった(笑)」