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Jリーガーから弁護士へ“華麗なる転身”も…「やっぱりサッカーで成功したかった」J開幕バブルを知る男の30年後の本音〈同期は天才・礒貝〉
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph byJ.LEAGUE
posted2023/04/12 11:00
Jリーグ開幕元年にガンバ大阪へ入団した八十祐治は、引退後に弁護士へ転身。Jリーグ30年の歴史で弁護士バッジをつけるのはたった一人
31歳でスパイクを脱ぐと、そこからはひたすら机に向かう日々だった。最初の2年は働きながら対策をしていたが、退路を断つ。仕事も辞め、一日12時間以上の勉強を自身に課した。当初は知的好奇心をくすぐられたが、次第に机から動けない苦痛が勝っていく。妻や家族の支えに頼り、社会から隔離されているような感覚もそれに拍車をかけた。
「とにかく合格するしかないというプレッシャーの中で、ちょっと頭がおかしくなりそうなほど勉強していました。そんな生活が4年半続いた。でも、サッカーはどれだけやっても答えが見つからなかったなか、司法試験はやればやるだけ点数は上がっていった。サッカーで試合に出られない、苦労したという経験がなければ弁護士にはなれなかったとも思います。ただね、たぶんもう二度とあんな生活は出来ないでしょう」
こうして2005年11月9日、八十は4度目の挑戦で旧司法試験を突破した。以降、民事訴訟を中心にずっと休みなく走り続ける感覚だという。
念願だった弁護士バッジを身に着けた感想を聞くと、「人と人の紛争に関わることはなかなかツラい仕事です。本質的には自分には向いてないかなと思う時もありますよ」と複雑な心情を明かす。それでも、係争だけではなく兵庫県サッカー協会や日本サッカー協会の委員として、時には選手の代理人業(現・エージェント)にも関わってきた。
スポーツと法曹界にはまだ壁がある、と感じている八十は自身の経歴を活かし、暴力やハラスメント問題にも積極的に関わってきた。弁護士として活動する今も、スポーツ界への熱い想いを持ち続けている。
弁護士を目指す現役選手も出現「素晴らしいこと」
八十がピッチを離れて20年以上が経ち、アスリートを取り巻く環境や意識も少しずつ変わりつつあることも感じている。明治大学出身で、横浜FCに所属する林幸多郎(22歳)のように、Jリーガーとしてプレーしながら司法試験の合格を目指す若者も出てきた。
「僕らの頃と比べトレーニングの方法や手法が確立され、練習時間が減り、時間に余裕が出来るようになってきた。大学生と話していても、2つ、3つ目標をもってサッカーに向き合うような選手も珍しくない。これは素晴らしいこと。だから林くんも頑張って欲しいと思うし、そういう選手が出てきて本当に嬉しい。彼は非常に高いレベルでサッカーをしているし、僕と同じではなく、早く試験を突破して、その上で出来るだけ長くサッカー選手も続けて欲しいです」