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肩書きは「風゜呂(プロ)サッカー選手」プラチナ世代の元Jリーガー・高野光司(30歳)はなぜ”裸一貫”の覚悟で銭湯をPRするのか?
posted2023/04/09 11:13
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
Shigeki Yamamoto
名刺にある肩書きは「風゜呂サッカー選手」。
プロと風呂を引っ掛けてはみたが、目立たない小さな文字にはちょっと気恥ずかしそうな感じも伝わってくる。
「プロだったのは昔なので実際は“元”なんですけど、(銭湯のスタッフからも)Jリーグでやっていたことをもっと言ったほうがいいんじゃないかとなりまして。でもそのおかげで文化放送の『おとなりさん』に出演させていただいたりして少なからず関心を持ってもらえるきっかけにはなっているのかなと感じます」
プラチナ世代でU-17W杯代表にも
高野光司、30歳。
柴崎岳、宇佐美貴史らと同じ“プラチナ世代”の一人で、東京ヴェルディユース時代にはナイジェリアで開催された2009年のU-17ワールドカップに出場している。2011年にトップ昇格してセンターバックからボランチに転向したものの、ケガに泣かされたこともあって出場機会は訪れず、その後ギラヴァンツ北九州(当時J2)、町田ゼルビア(同JFL)、アスルクラロ沼津(同JFL)、鹿児島ユナイテッド(同JFL、J3)と渡り歩いて2016年シーズン限りで現役キャリアに終わりを告げた。
現在は銭湯を運営する親族の会社に入社し、昨年12月にリニューアルオープンした東京・大井町にある「すえひろ湯」のスタッフとして働いている。PR業務も彼の大切な役割だ。
「昨今のサウナブームもあってか、1日大体200人くらいのお客さんに来ていただいています。若い方が結構多くて、コロナ禍もあって黙浴が広まってきて落ち着いた雰囲気です。昔、銭湯に毎日入っていた僕からすると、随分とイメージは違ってきていますね」
銭湯で戦闘力を高めて「あの雰囲気がたまらなく好き」
生粋の“銭湯っ子”だった。
東京・大崎の自宅近くに母親の実家が営む昭和25年創業の「金春湯」がある。小さいころから風呂を使わせてもらい、東京ヴェルディのジュニアユース時代、ユース時代もグラウンドのある稲城まで1時間半を掛けて往復し、練習後は金春湯に直行するのが日課。唯一落ち着ける時間として大事にしていた。
「練習が終わって戻ってくると大体10時過ぎ。湯船につかりながら練習内容を振り返って良かったこと、悪かったことを頭のなかで整理するんです。ひととおり終わると心と体をリセットできたと思えて“あしたも頑張ろう”って。僕にとっては外せないルーティンでしたね。顔なじみのおじさんたちもそこにいるので声を掛けられたり、“背中を洗ってくれ”と頼まれたり(笑)。あのガヤガヤした雰囲気がたまらなく好きでもありましたね」
銭湯で戦闘力を高めて対人に強く、キック力のあるセンターバックとして名門ヴェルディの育成組織で鍛え上げられた。
U-17ワールドカップにも出場したヴェルディ期待のホープはトップチームではボランチで挑戦することになったものの、キャンプ前に足首を捻挫して出遅れてしまう。復帰しても今度は右足第5中足骨を折って長期離脱に追い込まれる。リハビリを続けてシーズン後半に入ってようやくチームに合流。ケガの連続によってプレーがどうしても消極的になってしまう自分がいた。