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大学野球PRESSBACK NUMBER
「東大を目指してみないか?」偏差値70超の名門野球部で挫折しかけた高校生を救った恩師の提案…“甲子園も経験”東大キャプテンのスゴい経歴
text by
上原伸一Shinichi Uehara
photograph byShinichi Uehara
posted2023/04/11 17:00
東京大学野球部の新キャプテンに就任した梅林浩大(4年)。開幕戦では4番に座った
気持ちを新たにした梅林は睡魔に負けることなく、授業に集中するようになった。自分本来のスタイルを取り戻したのだ。翌日も練習があるので1時間にとどめたが、毎晩欠かさず授業の振り返りも行った。その継続はどんな日も途切れることはなかった。
「もともと自分に負けたくないタイプなんです。やると決めたことはやり通したいと。栗林監督や家族に恩返しをしたいのもありました。それと監督が見てくれている、というのが大きな支えになりましたね」
すると2年生では学年順位が100番台に。最終的には20位につけ、卒業式では「総代」に選ばれた。野球だけでなく勉強も全うしたことが評価されたのである。
「栗林監督は『野球部の地位を高めてくれた』とねぎらってくれました。活動時間が長い野球部は学校から、本分である学業を最優先にしていない、と見られているところもあったので」
甲子園でベンチ入り「仲間に連れて行ってもらった」
野球では入部当初は半分諦めていたベンチ入りを2年秋に勝ち取る。背番号は「13」。試合では三塁コーチャーを務めるとともに、ここ一番での代打も担った。同秋は明治神宮大会の準決勝でも打席に。「明徳義塾高の市川悠太(当時2年。現・東京ヤクルト)と対戦したんですが、全国にはこんな投手もいるのかと衝撃を覚えました」
三塁コーチャーとしては「準備」を大切にしていたという。「三塁コーチャーの判断で勝敗が決まることもありますからね。試合前ノックで相手野手の肩の強さや守備力をチェックしたり、2塁走者が出たら、試合状況を確認しつつ、様々な想定をしてました」
3年時も春、夏とベンチ入り。出場したセンバツでも背番号「13」の甲子園メンバーとして「聖地」の土を踏んだ。「東大」と「甲子園」のうち、その1つを手に入れたわけだが、 “手にした” という実感はないという。梅林は「自分の力ではなく、仲間に連れて行ってもらったと思ってます」と話す。そしてこう続けた。
「目指していたところなので、甲子園に行けたこと、そこで2試合経験できたことは大きな財産になっているのは確かです。ですが、記憶に刻まれているのは、甲子園遠征の2週間です。苦楽をともにした同期との日々が本当に楽しく、特別な時間でした」