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杉山隆一が明かす釜本邦茂とのバチバチな関係、クラマーに学んだ「止める・蹴る」…“リフティングも知らなかった日本代表”が銅メダルを穫るまで

posted2023/04/10 17:21

 
杉山隆一が明かす釜本邦茂とのバチバチな関係、クラマーに学んだ「止める・蹴る」…“リフティングも知らなかった日本代表”が銅メダルを穫るまで<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2005年、「日本サッカー殿堂」の第1回殿堂入りメンバーに選ばれ、釜本邦茂、デットマール・クラマーと談笑する杉山隆一(写真左)

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田中耕

田中耕Koh Tanaka

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1968年のメキシコ五輪で銅メダル獲得に貢献した日本サッカー界のレジェンド・杉山隆一。彼の才能に磨きをかけて世界で通用する選手として育て上げたのは、1964年の東京五輪に向けて特別コーチに就任したドイツ人のデットマール・クラマーだった。日本代表の礎を築き「日本サッカーの父」と称されたクラマーは杉山に何を教え、釜本邦茂とのホットラインはいかにして形成されたのか――本人の証言をもとに、その謎を紐解いていく。(全3回の2回目/#1#3へ)※文中敬称略

 日本代表に選出されてからというもの、杉山は苦汁をなめていた。左ウイングのレギュラーは同い年の松本育夫で、杉山は2番手。しかし、1960年10月にクラマーが特別コーチに就任すると、事態は一変した。クラマーは杉山のスピードに目をつけ、重用するようになる。やがて釜本が台頭すると、日本の攻撃スタイルについてこう宣言した。

「このチームの得点源は杉山・釜本のラインでいく。日本の武器にしたい」

 杉山が左サイドを突破してチャンスを作り、釜本が決めるパターンに磨きをかけるというものだ。しかし、得点パターンを確立するためには課題が山積していた。クラマーが杉山を褒めたのは「スピードは世界で通用する」というただ一点のみで、「ドリブルの幅と正確なセンタリング(クロス)は全くできていない」と厳しく指摘。しかもセンタリングはトップスピードから上げないと意味がないという。

クラマーのリフティングを見て「曲芸師かぁ…?」

 当初、杉山はクラマーが言っていることが理解できなかった。そもそも杉山だけでなく、他の日本代表の選手たちもサッカーを体系的に教えられてこなかった。選手がクラマーからまず教わったのはインサイドキックだった。それから「止める・蹴る」という基本を徹底的に植え付けられた。

 驚いたのは、クラマーが選手の前でボールを地面に落とさず何度も足で蹴っているのを見た時だ。

「なんだぁ、あれは……。曲芸師かぁ……?」

 彼らはそれがリフティングだと初めて知った。クラマーは「これはボールと足の感覚を養うものだ」と語り、アップダウンのあるコースを走った後、かならずリフティングを課していたという。

 杉山は課題克服のため、クラマーからマンツーマン指導を受けた。全体練習が終わると、パス&ゴーでセンタリングの練習を毎日200本行う。少しでもスピードが落ちた状態でセンタリングを上げると「ノー、トップスピード!」と怒られた。

【次ページ】 釜本邦茂とケンカ腰でぶつかり合った日々

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