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60年前に100mを11秒で…“伝説のウイング”杉山隆一81歳の豪快人生「三笘薫は昔の私にそっくり」「酔っ払って小松政夫とケンカを…」

posted2023/04/10 17:20

 
60年前に100mを11秒で…“伝説のウイング”杉山隆一81歳の豪快人生「三笘薫は昔の私にそっくり」「酔っ払って小松政夫とケンカを…」<Number Web> photograph by AFLO

現役時代の杉山隆一(1973年)。日本代表通算56試合15得点、三菱重工では3度のアシスト王と年間最優秀選手賞に輝いた“レジェンド”だ

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田中耕

田中耕Koh Tanaka

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日本サッカーの黎明期を支え、伝説のウイングとして語り継がれている男がいる。1968年のメキシコ五輪で“日本史上最強のストライカー”釜本邦茂とコンビを組み、銅メダル獲得に貢献した杉山隆一だ。スピードあるドリブルと“黄金の左足”を武器に攻撃の中核を担った81歳のレジェンドは、カタールW杯で孫世代の後輩たちが見せたプレーに何を思ったのか。杉山の波瀾万丈な半生を辿りながら、「日本サッカーのこれまでとこれから」について考えていく。(全3回の1回目/#2#3へ)※文中敬称略

 1月中旬、JR藤枝駅から車で20分のところにある喫茶店に足を踏み入れると、グレーのセーター姿の杉山がソファに腰かけていた。8年前に頸椎を痛めて杖を手放せなくなっていたが、声には張りがあり、鋭い眼光は世界を驚かせた若き日の面影をはっきり残していた。

「リュウさん(杉山の愛称)、ご無沙汰しております。時差がありましたが、昨年のW杯はご覧になりましたか?」

「もちろんだよ。おかげで寝不足になっちまったよ」

 豪快に笑った杉山は、カタールW杯の“ある場面”について語り始めた。

杉山隆一81歳「三笘を見ていると昔を思い出すよ」

 手に汗を握りながら、日本の全試合をテレビで観戦していた杉山が思わず「おぉ」と感嘆したプレーがある。ドイツとのグループリーグ初戦、1点ビハインドの後半30分。左の大外でボールを受けたMF三笘薫が中に切れ込むドリブルで相手2人を引き付け、MF南野拓実へパスをつないだ。南野のシュートのこぼれ球を押し込み、堂安律が同点ゴール。この一連のシーンを見た杉山は、思わず声を上げていた。

「昔の私にそっくりだ……」

 杉山が「そっくり」だと感じたのは、ゴールの起点になった三笘のプレーだった。杉山と同じ右利きで、左ウイング。ドリブルを得意とするプレースタイルとあのスピードは、自身の現役時代と相通じるところが多いという。

 杉山は、清水東高校(静岡)から明治大を経て三菱重工(浦和レッズの前身)入り。100メートルを11秒台で駆け抜ける快足プレーヤーとして鳴らした。1964年の東京五輪では、アルゼンチンから「杉山の左足には20万ドル(当時のレートで7200万円)の価値がある」と言われたほどだ。

「いやあ、三笘を見ていると昔を思い出すよ」

 杉山は頬を緩ませながら、時間の針を若き日の自分へと戻していった。

【次ページ】 「まるで忍者」100m11秒2の俊足のルーツとは

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杉山隆一
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