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杉山隆一が明かす釜本邦茂とのバチバチな関係、クラマーに学んだ「止める・蹴る」…“リフティングも知らなかった日本代表”が銅メダルを穫るまで
posted2023/04/10 17:21
text by
田中耕Koh Tanaka
photograph by
JIJI PRESS
日本代表に選出されてからというもの、杉山は苦汁をなめていた。左ウイングのレギュラーは同い年の松本育夫で、杉山は2番手。しかし、1960年10月にクラマーが特別コーチに就任すると、事態は一変した。クラマーは杉山のスピードに目をつけ、重用するようになる。やがて釜本が台頭すると、日本の攻撃スタイルについてこう宣言した。
「このチームの得点源は杉山・釜本のラインでいく。日本の武器にしたい」
杉山が左サイドを突破してチャンスを作り、釜本が決めるパターンに磨きをかけるというものだ。しかし、得点パターンを確立するためには課題が山積していた。クラマーが杉山を褒めたのは「スピードは世界で通用する」というただ一点のみで、「ドリブルの幅と正確なセンタリング(クロス)は全くできていない」と厳しく指摘。しかもセンタリングはトップスピードから上げないと意味がないという。
クラマーのリフティングを見て「曲芸師かぁ…?」
当初、杉山はクラマーが言っていることが理解できなかった。そもそも杉山だけでなく、他の日本代表の選手たちもサッカーを体系的に教えられてこなかった。選手がクラマーからまず教わったのはインサイドキックだった。それから「止める・蹴る」という基本を徹底的に植え付けられた。
驚いたのは、クラマーが選手の前でボールを地面に落とさず何度も足で蹴っているのを見た時だ。
「なんだぁ、あれは……。曲芸師かぁ……?」
彼らはそれがリフティングだと初めて知った。クラマーは「これはボールと足の感覚を養うものだ」と語り、アップダウンのあるコースを走った後、かならずリフティングを課していたという。
杉山は課題克服のため、クラマーからマンツーマン指導を受けた。全体練習が終わると、パス&ゴーでセンタリングの練習を毎日200本行う。少しでもスピードが落ちた状態でセンタリングを上げると「ノー、トップスピード!」と怒られた。