プロ野球PRESSBACK NUMBER
村上宗隆23歳は“世界のオオタニ”をどう見たか? 言葉を失ったレベル差に…“複雑な表情”を現地記者は見た「若手で唯一、憧れを捨てていた」
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph byNaoya Sanuki
posted2023/03/25 11:03
あの表情が忘れられない。桁違いの打撃を見せる大谷の姿に、村上はただただ言葉を失っていた
気遣いへの感謝の思いの反面、気を遣われる居心地の悪さが「すごく嫌だった」という言葉は本心だろう。村上はいつだってリーダーとしてチームの中心に居続けてきた選手だ。
九州学院高からヤクルトに入団した2018年のこと。イースタン・リーグの試合で、18歳のルーキーだった村上の存在感はまるでチームリーダーのようだった。当時は捕手から三塁手に本格転向したばかり。守備では失策も多かったが、それでも物おじせず先輩たちを大声で鼓舞していた。「自分がエラーしたのに、ベンチに戻ってピッチャーに“切り替えていきましょう”なんて声をかけているからね。彼は凄いよ、大物になる」と笑いながらも感心していたのは当時の高津臣吾・二軍監督だった。
そんな村上が悩み、苦しんだ国際大会の舞台。大谷やダルビッシュ有など、先輩たちの激励は背中を押しはしたが、それを乗り越えたのは村上自身の頭と体だった。
WBC序盤の苦戦…なぜ?
1次ラウンドで苦戦していたのが、国際大会特有のストライクゾーンの違いだ。ボールと確信して見逃した球がストライクとコールされ、打席の中で迷いが生じていた。
「なかなか結果が出ない中、もしかして自分の見えている球が本当はストライクなんじゃないか、とか、何かを変えなきゃいけないんじゃないか、とか、不安な気持ちになっている。自分の感覚を大事にしながら、迷うことなくスイングしていきたい」
1次ラウンド終了後から準々決勝までの3日間の練習日には、体の動かし方や軸、タイミングの取り方など自身の打撃のポイントを入念に点検。フリーバッティングでは、好調の証でもある左中間方向への強い打球も出るようになり「試行錯誤して、これだったら行けるという自分の中での根拠があった」と手応えをつかんでいた。
準々決勝のイタリア戦からは定位置だった4番を外れて5番に入ったが、2点差に追い上げられた5回の第3打席で左中間を破る強烈な当たりの初タイムリーを放つなど2安打。「打てる根拠があった」という確信の一打で得た自信と共に舞台をマイアミに移した。そして迎えた準決勝。メキシコとの死闘で、あの劇的な一打が飛び出す。1点を追う9回、無死一、二塁の場面で、センターのフェンスに直撃する逆転サヨナラ打。深い霧を自らの手で晴らしたのだ。