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「妻、子ども3人に誇らしく思ってもらえるように」“サッカー未経験部員が空き地で練習”から15年で日本一…岡山学芸館監督が語る秘話
posted2023/03/06 11:18
text by
間淳Jun Aida
photograph by
Kiichi Matsumoto
岡山駅から電車で25分。岡山県瀬戸内市にある邑久(おく)駅は、昭和の風情が残るローカル駅だ。上下線の電車が同時に運行できない「単線」のためホームは1つ。駅員はいない。2箇所ある改札を抜け、田んぼが広がる道を20分ほど歩くと目に入ってくるのが、周りの風景と調和を欠く豪華なスポーツ施設。ナイター照明完備の野球場、学生寮、そして人工芝のサッカー場が広がる。
岡山学芸館高等学校サッカー場。ネットにかけられた横断幕が誇らしげになびく。入口でサッカー部員に声をかけると、立ち止まって元気な挨拶が返ってくる。雪がちらつく寒さの中での取材を気遣いながら、来客用の部屋へと案内してくれた。
学校近くの空き地で練習していたチームが日本一に
岡山学芸館は、今年度の全国サッカー選手権で岡山県勢初となる優勝を飾った。能力が突出した選手はいなかったが、Jリーグ内定者が所属する強豪校を次々と撃破。組織力の高さや勝負強さで強烈なインパクトを残し、その名はサッカーファン以外にも知れ渡った。
ここ最近、岡山学芸館は選手権やインターハイ出場の常連となっている。だが、15年前は選手も練習場所も今からは想像できない状況だった。コーチを経て、2008年からチームを指揮する高原良明監督が笑顔で回想する。
「長年サッカーをしてきましたが、自分が育った環境とは全然違うチームでしたね」
練習場所は学校近くの空き地だった。冬場は夕方になるとボールが見えなくなるため、車のライトを照明代わりにした。遠征に行くと部屋からたばこの臭いが漏れてきたこともあったという。現在135人に上る部員は当時20人に届かず、紅白戦には高原監督やコーチが入っていた。福岡県の強豪・東海大五(現・東海大福岡)から東海大に進み、Jリーグ加盟前のファジアーノ岡山でプレーした指揮官のサッカー人生では考えられない出来事ばかりだった。
「全国への道は見えなかったです」
高原監督が最初に手を入れたのは挨拶だった。人に会ったら足を止めて、はっきりと元気良く声を出す。部活だけではなく学校生活でも徹底するように指導した。
「普段の生活から整えなければ強いチームにはならないという教えを受けてきたので、挨拶ができないのは許せない部分がありました。人として基本的な部分ですから」
サッカーの技術を高める前の人としての基本。高原監督には常識だったが、挨拶の習慣がない選手に浸透させるのは時間がかかった。それでも、繰り返し挨拶の大切さを説き、指揮官が1年目に指導した選手が3年生になった時にはチームの当たり前となっていた。
選手のマインドを変えることにも、高原監督は我慢強く取り組んだ。