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「出ちゃったという感じ(笑)」21歳で100m日本歴代3位、兒玉芽生が振り返る「大分の“速く見えない”女子高生がスプリント女王になるまで」
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph byAsami Enomoto
posted2023/02/23 11:00
現在はミズノに所属し、福岡大学を拠点に練習を続けている兒玉芽生。兒玉と信岡沙希重コーチがこれまでの足跡を振り返った
「まだインターハイで優勝してもいないし、1・2年生の頃は目立った成績もなかったので、競技実績ではなく、走りそのものに可能性を感じてもらえたのがすごくうれしくて。何より信岡先生に『一緒に世界を目指そう』と言われたことに強く心を惹かれました」
信岡にこの言葉の真意を尋ねると、「そんなかっこいいものじゃないですけれど」と照れくさそうに笑いながら、こう付け加えた。
「顧問の穴井先生からのプレゼンも大きかったですが、あの子は陸上で生きていくのだろうと。世界まで届く伸びしろかは分からないにしろ、やはり日本を代表する選手になるポテンシャルはあるなと感じていたんです。少なくとも、大学で終わるような選手ではないと思っていました」
食い違っていた2人の“ストライド”
漠然と「世界」という目標を共有したふたりだが、初めから二人三脚の歩幅が揃っていたわけではない。
信岡は、動作解析によって得たピッチやストライドのデータを細かく分析する指導で知られている。客観的な数値と、自らの感覚のズレを埋めていくことが目的だが、感覚を頼りに走ってきた選手にとっては、その指導が大きな衝撃となる。
新入生の兒玉にとって、一番の壁となったのは「ストライド」に対する自身のイメージが、信岡の指導と根本的に食い違っていたことだった。
「ストライドという言葉に対する私の認識が間違っていたんです。私のイメージとしては、ストライドを伸ばすには単に足を大きく振り出せばいいと思っていて。でも本来は接地で力を伝えて反発をもらい、結果的にストライドが大きくなるという流れなんです。だから自分で足を伸ばして取りに行ったとしても全然意味がなくて。
ふたりとも『ストライドを伸ばしたい』という目標は同じなのに、私が全然違う考え方をしていたので、噛み合わないことが多かったですね。高校まで感覚だけで走ってきた分、客観的な意見を言われても理解できない面があったと思います」(兒玉)