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「いっそ辞めたほうが」10年前、福永祐一は本気で引退を考えていた…エピファネイアを操った“会心の手綱”の真相〈JRAラスト騎乗〉
text by
片山良三Ryozo Katayama
photograph byJIJI PRESS
posted2023/02/19 06:00
福永祐一が「一生忘れられない」と振り返る2013年の菊花賞。シーザリオを母に持つエピファネイアは、2着に5馬身差をつけてゴール板を駆け抜けた
翌週の天皇賞も福永祐一だった。当時は新馬戦とアーリントンCを勝っただけの2勝馬にすぎなかったジャスタウェイ(牡、'09年生まれ、父ハーツクライ、母シビル、栗東・須貝尚介厩舎、現種牡馬)が、女傑ジェンティルドンナ以下に4馬身の差をつける奇跡的な切れ味を見せたあのレースだ。
「直前の追い切りも目立たなかったし、当日の返し馬の気配も平凡。あんなに走ってくれるとは想像もしていませんでした。でも、あの1戦がきっかけになって、馬がガラッと変わってドバイ( '14年のデューティーフリー優勝)までぶっち切りの連発。ホント、馬も僕も充実の秋でしたね」
何度も頭をよぎった「騎手を続けるか、辞めるか」
外からは順風満帆を絵に描いたような騎手生活を送っているように見える福永だが、騎手を続けるか、辞めるかの決断に揺れたことは一度や二度ではなかった。
最初の転機は、師匠の北橋修二調教師と所属騎手のように可愛がってくれた瀬戸口勉調教師が相次いで定年を迎えた'07年ごろ。親子以上とも言える深い師弟愛でつながっていた恩人2人が競馬界を去ったとき、「生活のためだけに続ける仕事じゃない」との思いが頭の中で一瞬膨らんだ。それは父・福永洋一が落馬によるケガでいまも療養生活を続けていることとも無関係ではない。母・裕美子さんが、祐一が無事なままで馬を下りてくれることを密かに心待ちにしていることも知っていたのだ。
しかし、騎手・福永祐一を頼りにしてくれる関係者は次々に現れて、トップジョッキーの地位は少しも揺るがなかった。それでも福永は持っている技術の頭打ち感に悩み続け、ついには騎乗フォームを根本から作り変える荒療治に取りかかることになる。'10年、動作解析の専門家である小野雄次氏に依頼して、馬の走りの邪魔をしないのがベストというこれまでの考え方から、積極的に馬を動かしにいくジョッキーに変わる取り組みを始めていたのだ。