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「メッシとマラドーナは知ってるけど…」実は“うろ覚えなアルゼンチンとW杯史” 優勝3回も“もっと勝っていたはず”不運の時代とは

posted2023/01/29 11:00

 
「メッシとマラドーナは知ってるけど…」実は“うろ覚えなアルゼンチンとW杯史” 優勝3回も“もっと勝っていたはず”不運の時代とは<Number Web> photograph by Kaoru Watanabe/JMPA,Getty Images

念願のW杯トロフィーを手にしたメッシとマラドーナ。2大スター以外の「アルゼンチンフットボール史」の全容は意外と知らないかも?

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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Kaoru Watanabe/JMPA,Getty Images

 リオネル・メッシ、ディエゴ・マラドーナというフットボールが誇る2大天才を生んだアルゼンチン。W杯優勝国である一方、“2人が出る前のW杯史”については世間的に意外と知られていない。南米在住の日本人ライターがNumberWebでその歴史を紹介する。

 ワールドカップ(W杯)カタール大会で、メッシ率いるアルゼンチンが世界の頂点に立った。自国開催の1978年、マラドーナを擁した1986年に続く36年ぶり3度目の制覇で、過去5回優勝のブラジル、4回優勝のドイツとイタリアに次ぐ世界4番目のフットボール大国となった。

 これだけでも十分にすごいが――南米では「アルゼンチンは、W杯でもっと優勝していておかしくない」という声が多いのをご存知だろうか。

マラドーナは先住民、メッシにはイタリアの系譜が

 南米最南端に位置する逆三角形の国で、面積は日本の7倍以上あるが人口は3分の1強の約4700万人。人口密度は、日本の約23分の1しかない。

「パンパ」と呼ばれる大草原が広がり、牧畜が盛ん。しかし、近年は経済が低迷し、2022年のインフレ率は72%を超えた(このような苦しい状況に置かれているだけに、W杯優勝は国民を大いに勇気づけた)。

 気候は、北部が亜熱帯、首都ブエノスアイレス周辺が温帯で、南部が寒帯。哀愁を帯びたタンゴのメロディーとキレのあるダンス、肉の塊を炭や薪で焼く豪快な肉料理「アサード」、そしてテクニカルだが激しいフットボールがこの国の代名詞だ。

 人種は約85~90%がイタリア系、スペイン系などの欧州系で、残りが先住民インディオとその混血。マラドーナの風貌には先住民インディオの血が色濃く表われており、メッシはイタリア系だ。日系人もいるが、総数は2万人余りで人口の0.5%程度でしかない(隣国ブラジルの日系人は約200万人で、人口の約1%)。

 1863年にイングランドで統一ルールが制定されると、そのわずか4年後、ブエノスアイレスに南米最初のフットボールクラブが設立された。1891年には、5クラブによるリーグ戦が始まった。

戦争での中断期間に頭角を現したディ・ステファノ

 1916年、アルゼンチンの独立宣言100周年を記念してウルグアイ、ブラジル、チリの代表チームを招待して国際トーナメントを開催し、これが南米選手権(1975年にコパ・アメリカと改称)へと発展した。当時の南米のフットボールは、アルゼンチンとウルグアイが双璧。ブラジルは三番手に過ぎなかった。

 1930年にウルグアイで第1回W杯が開催され、アルゼンチンは決勝まで勝ち上がったが地元ウルグアイに2-4で敗れた。しかし、1934年のイタリア大会では1回戦で敗退。「W杯は欧州と南米の持ち回りで開催されるべきだ」と主張して1938年の大会を誘致したが、FIFAがフランスを開催国に選ぶと大会をボイコットした。こういうプライドの高さが、いかにもアルゼンチンらしい。

【次ページ】 “格下”だと見ていたブラジルに先を越されたが

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